舞台監督って?
舞台監督とはなんぞや?
が分かる方はこの節を飛ばして、次の節からお読みください。
次の節から読むのが不安な方は、ここからお読みください。
「舞台監督」っていう言葉は知っているけど、実際はどんなことする人?
映画監督と言われれば、山田洋次監督とか、北野武監督、外国ではスティーブン・スピルバーグ監督とか、イメージが湧きますけど‥
舞台監督も映画監督みたいなもんだろうか?
はい、全然違うんです。
「監督」って名前が付いているから、ちょっと紛らわしいのですが‥
舞台監督は本番中の舞台に居ます。
客席からは見えないように、暗い舞台の袖の中にいて、そこから俳優の演技だけではなく、客席の様子、照明・音響のスタッフの動きなど、全てを見守っています。
舞台監督がいる場所は、劇場によって上手なのか下手なのかは変わります。
というのは、舞台袖の中に操作盤と呼ばれる大層な機械があり、それを操作するのは劇場の専属スタッフですが、舞台監督はパフォーマンスの進行に合わせて、必要な「キュー(Cue)」と呼ばれる、キッカケを、その操作する劇場スタッフに出しています。

「キュー」を確認した操作スタッフは、緞帳のアップダウンや、舞台上の釣り物と呼ばれる幕やパネルを、操作盤を使ってアップダウンさせたり、セリと呼ばれる舞台昇降装置を操作します。
ちょっと見、なんか空港の管制官とか、或いは潜水艦の中の司令官と魚雷発射兵みたいな感じでカッコいいんです。
さらにカッコいいのは、「インカム」と呼ばれる通信機器を使用し、劇場内の照明室や音響室、或いは舞台袖に居る演出部スタッフへ「キュー」や「様々に司令」が出せるようになっています。
舞台監督とは、本番における全体の管理監督者であり、総司令官でもあります。
カッコいいんです。
映画における監督の様な役割をするのは、舞台の場合は「演出家」と呼ばれる人です。
演出家に関しては、別の記事で扱います。
話を戻して、具体的にはどうやって舞台監督になるのかをお話しいたします。
劇団演出部研究生から
ある程度の規模の劇団は付属の養成機関を持っています。
多くは俳優養成を目的とした機関ですが、俳優志望の研究生を募集すると同時に「演出部」研究生を募集しています。
主なところでは文学座、民藝、青年座、演劇集団円、劇団昴などです。
志望者は大学もしくは専門学校を卒業し、毎年2月から3月にある養成所の入所試験を受験します。
劇団の事情で、年によっては演出部研究生の募集がない時もありますので、注意が必要です。
演出部の募集がない時に、俳優として試験を受け合格し、入ってから「オレ、本当は演出部志望なんだもんね」とか言って、演出部になった強者もいます。
一般の会社と違って、劇団というのはある程度の融通は効きますが、これは余談ですので、これを信じて人生を誤らないでください。
もうひとつ、演出部で入ってから演技部というのは、ハードルが高いのでその方法はやめておいたほうが良いでしょう。

なんでもやります!
好きな舞台作品は何?
劇団演出部の入所試験は、はっきり言って人柄を見る試験です。舞台芸術とは集団創作なので、人間的にちょっと問題ありってな人はアウトです。
試験は養成機関によりますが、作文と面接、若干常識問題が出るかどうかです。
養成期間によっては語学の力を重要視する所もあるようですが、それが決定的な要素ではありません。
無事、合格して入所すると、同時に入った演技部の発表会のスタッフとして、先輩の演出部の人に付いて色々な仕事をしていきます。
様々な仕事とは、舞台装置関係、小道具関係、衣装関係、音響関係、照明関係などの打ち合わせを通して、作品全体のコンセプトを学び、本番に向けての仕込みや本番中の様々なテクニカル・スタッフワークを学びます。
運がいいと、劇団の本公演の見習いスタッフとして、現場に現場に付く事もあります。
この研修期間は期間の長さより、何本の作品に付いたのかということの方が重要になります。
本番の見習い的な期間(3作品程度)が過ぎると、演出部の中で舞台装置に関して進行させる担当、小道具を進行させる担当、衣装担当などを順番に担当していきます。
担当というのは、具体的には稽古場で稽古進行を助けながら、演出家や舞台監督、そして各プランナーの相談で決まる美術プランや衣装プラン、或いは小道具などに関し、具体的に集めたり、作ったり、発注する仕事で、常に演出家、舞台監督との連携の中で進め、本番までの運行を管理する仕事です。

それが終わるのが、早ければ2年、遅くても3年ぐらいですが、その間、他の劇団や制作会社、劇場などの舞台スタッフの仕事もやる様になります。
養成所にもよりますが、大体研修期間としての1年が終わると、学費がいらなくなり、スタッフとしての仕事に対し給金が出る様になります。
ただし劇団からは「お小遣い」程度の給金でしたが、外部の仕事をすると「えっ!」という感じの額でした。
その頃になりますと、劇団内の会議で、そろそろ、演出部チーフをやらせてみようか? 或いは、演出助手の仕事を何作品かさせてみてみようか?
という話になります。
実はここで、演出家の方へ行く人間と、舞台監督の方向へ行く人間との分かれ道ですが、今回は舞台監督という事ですので、そちらの話を続けます。
そこで、本公演での演出部チーフの仕事を、2作品から3作品ほどこなし、いよいよ「舞台監督」デビューとなります。
新しい「舞台監督の誕生」です
大学の演劇サークルや専門学校から
もうひとつの道は、大学を卒業、或いは中退、もしくは専門学校、などから、いきなりプロの世界に入って修行をするというコースです。
大学は別に芸術関係でなくてもかまいませんし、劇団の養成所じゃなくて、いきなりプロの現場に入っちゃう道です。
このタイプの舞台監督は、大学の演劇サークルや、学内劇団でスタッフをやっていた人が多くいます。
普通、芝居を始める時には、俳優をやろうとするのがごく普通です。
が、新入部員の多くは、最初、裏方をします。
その後、俳優として舞台に立つのですが、人によっては裏方の方に魅力を感じる人がいます。
私もそうでした。
一回、スタッフをやってから俳優として舞台に立つと、なんだか「知能が低くなったような」気がしてしまいました。
表から舞台を見ている時に見えていた事、例えば「あの俳優、セリフのキッカケ早いな」とか「もう少し、上手に寄らないと照明に入らないなぁ」とかが俳優として舞台に立った時には「相手役」が目の前にいて、自分に向かってセリフを言ってくる俳優に、自分も相手役として対応しなければならない。そうなると、表から見えていたモノが、全然わからなくなって「自分がバカになってしまったような‥」
そんな気持ちを一回でも味わうと、俳優‥って、なんだか言うがままに動かされている感じで、戦争で言うと最前線の兵隊で、後ろの司令部が舞台監督だったり、演出家だったり、あるいは演出部スタッフだったり、そんな気がしてくると、そのままどっぷり裏方稼業って具合です。

実は、そう言うのが早稲田や明治あたりにゴロゴロいるのを、プロの舞台監督は知っていて‥というのも業界には早稲田多くて‥まあ、学生劇団がいっぱいあるからですが、そこへ行けばイキのいいがいて、そういう連中に「君、プロの現場を知りたくないか?」とか言って連れてこられて、そのまま大学8年行ったけど辞めちゃった、という舞台スタッフがたくさんいます。
ちなみに、早稲田とか明治というのは、結構学生演劇が盛んで、そこへ他大学の学生も俳優やスタッフで参加しています。
私の先輩の舞台監督が東大駒場小劇場の仕込みをやっていた、筋が良さそうな元気な学生に声をかけスカウトしたら、その彼は國學院大学の学生でした。
ですから、自分の大学の学生劇団があまり盛んでないと思ったら、早稲田とか東大、明治あたりに行って、面白そうな劇団に入れてもらうという、裏技もあります。
そうすると、プロの舞台監督がやってきて
「君たち、プロの現場を経験してみない?」
「プロ?」
「ちゃんと、ギャラ出すよ、その辺でアルバイトするよりいいと思わない?」
「やります!」
で、入った学生の多くは、東京公演の現場からそのまま3ヶ月の旅公演に売れていかれ、見事に留年しました。
そのままプロになって、もともとセンスが良かったのでしょう。
あっという間に演出部チーフになって、そして舞台監督になりました。
こういう場合の身分は、フリーの演出部ということになります。
別の記事にも書いたのですが、業界は人手不足です。
自分で選り好みしなければ、1年中、仕事の依頼は来ます
小劇場・小劇団の舞台スタッフから
演劇界には、客席数100人ほどの劇場を中心に活動している劇団が多くあります。
その殆どが無収入ですので、実質アマチュアと言ってもいいのですが、やっている人たちは様々なアルバイトや副業を持って、芝居が始まると2ヶ月ほど休んで、稽古から本番を年に1、2回やります。
そんな生活を3年ほど続けると、同じような活動をしている他の劇団の人と知り合いになったり、或いは照明スタッフや音響スタッフの人と知り合いになります。

照明や音響のスタッフは、フリーではなくそれぞれ照明会社とか音響会社に所属しています。
彼らは、小劇場の芝居だけでなく、中劇場、さらには例えば新国立劇場などの演目のオペレータをしています。
そのような他ジャンルのスタッフを知り合うと、彼らからプロの会社のスッタッフに、小劇団に貴方のようなスタッフがいるということがつあえられます。
或いは自分から「大きな舞台のスタッフに付いてみたいけど、紹介してもらえるか?」などと、アピールしたり、その辺りは人間関係の中でのやりとりなので、一概にこういうモノだと定義できませんが、そうやってお声がかかり、いわゆるメジャーな方へ進出する演出部スタッフも大勢います。
そういう人は、自分が所属する劇団に籍を置いたまま、例えば文学座とかこまつ座、青年座あるいはシス・カンパニー、世田谷パブリックシアター、新国立劇場などの舞台スタッフとして、1作品だけの契約で参加します。
そうして千秋楽が近づくと、まあ、それなりに仕事をしていればですが、舞台監督から「これが終わったら、どうするんだ?」と聞かれます。
例えば「自分の劇団の公演があります」と返事すると、それがいつ終われるのか聞かれ「それが終わったら、文学座に就くか4ヶ月?」などと言われ、比較的途切れずに仕事に就く事ができます。
そうやって、2年位すると所属していた劇団が解散したり、分裂したりしてしまう事があり、そのままフリーの舞台スタッフとなり、5年ほどたつとベテランスタッフの仲間入りです。
後は先輩の年齢とかその時のタイミングで、舞台監督の仕事依頼が来ます。
もしくは、舞台スタッフ仲間たちと、舞台スタッフ専門の会社を作ったりして、色々な会社や劇場、劇団から仕事の依頼を受け、その中で「舞台監督」になって行きます。
特にコロナで辞めてしまった人も多く、現在は人手が足りていません。
飛び込み
ごく稀に、本番中の楽屋に「スタッフの仕事がしたいのですが」とか、或いはロビーにいる一番偉そうな人に「どうやったら、舞台スタッフの仕事ができますか?」などと聞いてみる事です。
その時には「履歴書」は必須です。
できればそれまでに何本か舞台を見ていてください。
そうやって、この業界に入ってきた人もいます。

舞台スタッフの仕事させてください!お願いです!
時々、こう言う人が来ます。
なかなか根性があって、素晴らしいのですが、こういう人の注意点として、表から(客席)からパフォーマンスを見て、感動して「僕も、私も本当はこういう仕事がしたかったんだ!」とか思い詰めて、いざ、舞台裏の世界で仕事をしてみると、そこは「人間関係のるつぼ」で、結構めんどくさい世界だという事がわかって「やっぱり、自分には向いていない」と辞めていく人も実はたくさんいます。
ただ、こういう人は案外簡単にこの世界に入ってくる事ができます。
と言うのは、何度もお話しするように、業界は慢性的にスタッフの人材不足です。
それでいながら、我々スタッフもどうやって人材を集めればいいのか、今ひとつしっかりとした方法を持っていません。
ですから「飛び込んでくる人」そんな積極的な人材を受け入れる許容量は充分にあります。
たとえその時は難しくても、相談には乗ってくれるでしょうし、どこかを紹介してくれることもあるでしょう。
そうやって入ってきた人を多く見てきました。
ただし、上に書いたように「多くの人が辞めて行きました」
長い間、この業界にいた人間としてのアドバイスがあるとすれば、この世界で成功した人は
紛れもなく「舞台が好き」な人でした。
それは「仕事が好きでした」と言う方が正しいかもしれません。
そして、そこで出会う人たちが面白くて、楽しくて仕方がないという人が成功して行きました。
でも、最初からそうだったわけではありません。
仕事をやりながら、徐々におもしろくなって行ったのです。
大事なのは「夢」や「理想」と言われますが、私が45年の時間の中で見てきたのは、
この世界で生き抜いて、成功した人は、夢とか理想の前に、ただただ「面白いからやっている」と言う人でした。
もの凄く高い理想を持った人たちほど、辞めて行きました。
成功の方法はただひとつ「好きになること」だけ‥そう思います。
中島豊