舞台演出家への道

そもそも舞台演出家とは

 舞台演出家という名称で、メディアに登場する人を見たことがあると思います。

 有名なところでは、野田秀樹、宮本亜門、三谷幸喜、鴻上尚史、平田オリザ、古くは蜷川幸雄やつかこうへいなどの各氏がそれです。

 最近では「千と千尋の神隠し」を演出した英国の演出家、ジョン・ケアードなどもいます。

 で、この人たちは、何をしてる人なんでしょう?

 稽古場で俳優が一生懸命演技している前で、偉そうに座っていて、時々「違う!」とか「バカヤロー!」とか、あるいは「灰皿を投げて怒鳴っている人」のようですが‥

 そのイメージ‥概ね合ってます。

 ですが、それは昔の事で、今、そんなことしたらコンプライアンス的にNGですので、多分、無くなっているかと思います。

 簡単にいうと、演出家って台本(戯曲、シナリオ)という2次元の文字を、舞台という3次元の現実にしていく職業の人です。

 ※映画やテレビは、現実的には2次元ですが、作っている時は3次元ですので、細かいツッコミはしないようにお願いいたします。

 演出家の仕事というのは、たとえばシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」を演出するとなった場合、どんな舞台装置にしようかな、とか、どんな衣装がいいかな、とか、どんな音楽を入れて、俳優にはどんな照明を当てようか‥

 俳優は上手から出そうか、いや遠くからの伝令の役は客席の後ろから走って舞台に出そうか?

 そんなことを、チマチマ机の上で台本を広げて考えるのが、最初の仕事です。

 演出家はそうやって考えたこと、たとえば「ロミオとジュリエットを現代的な都会をモチーフにした、舞台装置でやりたい」とか「日本家屋風にやりたい」とか、あるいは蜷川幸雄さんなどは「巨大な仏壇を創って、その前で『マクベス』を演出しました」

 ここまではアイディアというか、抽象的なイメージです。

 時々、自分のイメージをスケッチ風に書いてくる演出家もいますが、まあ、この段階は抽象的なものです。

 そのイメージを舞台美術家に伝えます。
 しばらくすると、舞台美術家は「こんな感じのプランを考えました」と言って、例えば3パターンのプランを絵で持って来ます。

美術打ち合わせ、演出家、美術家、舞台監督、大道具製作会社の営業、そしてプロデューサーが参加します。
プロデューサーは何かあるといちいち、それ予算が無いので‥と言って、みんなに嫌われます。

 最終的には演出家が自身の演出プランに照らして、どの舞台装置にするかを決定し、美術家にお願いすることになります。


美術家はそれを元に、自身の芸術性やアイディアを盛り込みながら舞台美術プランを完成させていきます。

 同じように、演出家は音楽家や音響効果家、照明家、そして演出部スタッフと相談したり、指示したりして舞台全体のプランを具体的に提示して行きます。

 そして演出家の一番の仕事は、俳優の演技に対して様々な指示を与え、時には「ダメ出し」と呼ばれる修正や新たな演技の要求を指示したりします。

 映画でいう監督の役割をするのが、舞台の場合の演出家です。

舞台演出家が活動する、舞台の種類

 演出家といっても仕事をしている現場のジャンルは若干異なります。

 大きく分けますと、商業演劇と呼ばれる有楽町を中心とする、大規模劇場の作品を演出する演出家。

 それから、新劇と呼ばれるジャンルの主に劇団やプロデュース公演を活動の場とし、紀伊國屋ホールや新国立劇場小劇場、世田谷パブリックシアター、下北沢本田劇場などで、作品を上演している演出家。

 そして小劇場というジャンルで、主に自作の演出をしも下沢スズナリなどキャパ100人ほどの劇場で活動する演出家です。

 活動の場はそれぞれ異なりますが、演出家の仕事としては明確な区別があるわけではなく、商業演劇も新劇も小劇場も中にはオペラやミュージカルもやっちゃう演出家もいます。

 というか、新劇の演出家はジャンルを飛び越えて、様々なジャンルの作品を演出しています。
 そもそも、演出家が人材不足気味でして、ちょっとセンスのある演出は引くてあまたなのです。

舞台演出家になる3つのコース

 では具体的に演出家になる為の、3つのコースをお話しいたします。
 これが全ての道ではありませんが、私が長年いた舞台芸術の世界では、ほとんどの演出家が、このコースでした。
 

 劇団の演出部研究生

 「演出家への道」の王道です。

 劇団の養成所に入り、演出部研究生から裏方の仕事を覚え、そこから演出家になる道です。

 主な劇団としては文学座、青年座、演劇集団円、あたりの付属演劇研究所というような名前の養成所です。

 この辺りの劇団をお勧めする理由としては、現在、演劇界で活躍するプロの演出家が多く所属しているからです。

 研究生の最初は、同期に入った演技部の発表会などのスタッフについて修行して行きますが、やがて劇団所属の演出家の演出助手、あるいは舞台監督の助手として、本公演について勉強して行きます。

 さらに劇団の演出家が外部公演の演出を請け負った時に、自分の劇団の後輩演出部員や、研究生を演出助手として採用する場合があります。

 そうやって、劇団内外での経験を積み、やがて、文学座などではアトリエ公演の演出家としてデビューするという道が一般的です。

 他の劇団も研究生の試演会や本公演の演出助手を経て、演出家デビューが一般的です。

 但し、誰でもがこのコースで演出家になれるわけではありません。

 劇団の事情で、何年も演出助手をしている間に、自分の10年ほど後輩が演出家としてデビューしていくということもあります。

 演出家になるには、演劇の知識だけでなく、リーダー的な素養が必要になります。

 知識も経験もあるが、俳優やスタッフの先頭に立って、作品を創造していく為に必要な、魅力ある人間性、人望に乏しいと判断されると、劇団からの演出家デビューは難しくなります。

 勿論、全ての演出家が人望厚く、理想のリーダーであるかと言うと、実際のプロの演出家でも偏屈で、面倒臭い人物もいますが‥。

 少なくとも、劇団からのデビューを考えるなら、人間的な魅力も必要となります。

俳優を前に、演技指導に熱が入る

 自分が演出家として作品を作っていく時に、自分の親ほどの年齢の俳優がゴロゴロいます。

 演劇的な知識や経験ではとても太刀打ちできません。

 天才的なセンスの持ち主でなければ、それらの俳優やスタッフの経験や知識を借りて作品を作っていかなければなりません。

 そこでモノを言うのが、人間的な魅力です。

 人間的な魅力って、わかったようでよくわかりませんが‥

演出家に必要な、人間的な魅力とは
「演劇に取り組む真摯な態度、真面目さ、ひたむきさ、そして素直さです」

特に素直さは大事です。

 自分の演出的な指示や解釈が間違っていたとしたら、素直に認め、一生懸命に別の方法を考えたり、皆と相談したりする素直さです。

 余計なプライドは、俳優やスタッフを前に邪魔ですし、どうかすると障害になります。

 私が長年、演劇界で生きてきて、才能があると言われた人ほど、子供のような素直さを持っていました。

 それが、周りからは演劇に対する真摯な態度として映るのです。

 ごくごく当たり前の事で、別の仕事でも組織でもこれが一番肝心な事でした。

 なお、このコースで演出家になって行ったのが、上記の新劇の演出家、木村光一、鵜山仁、栗山民也、宮田慶子、西川信広、森慎太郎などです。

 彼らは自分の劇団だけでなく、プロデュース公演や公共劇場、あるいは商業演劇と呼ばれるジャンルやオペラまで幅広く演出家として活動しています。

学生劇団からプロ劇団へ発展し、プロの演出家に

 次に多いのが、この学生劇団からプロの劇団に発展し、そこで演出家になっていった人たちです。

 特に有名なのが東京大学出身の野田秀樹「夢の遊眠社」や早稲田大学の鴻上尚史「第三舞台」、日本大学芸術学部の三谷幸喜「東京サンシャインボーイズ」、大阪芸術大学から生まれた「劇団新幹線」、慶應大学のつかこうへいが早稲田大学の「劇団暫(しばらく)」の学生たちと組んだ「つかこうへい事務所」、古いところでは早稲田大学の鈴木忠志「早稲田小劇場」や明治大学の唐十郎「状況劇場」など、実に多くの劇団があります。

多くのプロ劇団が生まれた、学生演劇のメッカ、早稲田大学

 微妙なのが渡辺えりの「劇団300」(さんじゅうまる)で、舞台芸術学院の卒業生の劇団で、学校卒業と同時に結成された劇団などもあります。

 彼らの大きな特徴は、それまでの演劇集団と異なり、劇団の主催者が書いた、オリジナル戯曲を作家自身が演出している点です。
 その新しく斬新な作品が、当時の若者の支持を得て、小劇場ブームが起こり、プロ劇団に発展して行った点です。

 1970年代からの数年の小劇場ブームは、演劇を志す若者たちに、それまでの新劇団に入ることが演劇の王道と考えていた考えに、新しく演劇の自由さと面白さを提示しました。

 当時、演劇を志す多くの若者たちが、自ら劇団を旗揚げして行きました。

 そのサクセス・ストーリーは、まずは小さな劇場、下北沢スズナリ、池袋シアターグリーン、高田馬場東芸劇場、新宿シアターモリエール、渋谷ジャンジャンなどのキャパ100人程度の劇場から始まります。

 この時点での劇団の観客動員は500人から1000人くらいです。

 やがこの数字が、3000人近くに達した頃、紀伊國屋ホールや下北沢本多劇場、などの劇場に進出し、作品的にも、観客動員的にも成功すると、いよいよ、本格的な若手人気劇団へと成長して行きます。

 この3000人に達するまでは演劇で金は稼げず、ここに到達する前に消えて行った劇団や演劇人は星の数以上にいました。

 先にあげた、野田秀樹、鴻上尚史、渡辺えり、あるいは三谷幸喜などは、消えた星の数の中から、生き残った数人です。

俳優や作家、アーティストから

 一概に、俳優からとは言えませんが、俳優もやり演出もやったという演出家の代表が、蜷川幸雄や宮本亜門、串田和美などです。

 野田秀樹や渡辺えりなども俳優をやり、劇作をやり、演出もやるという才能ですが、ここでは俳優ないしアーティストとして活躍しながら、演出家として素晴らしい仕事をしている人を上げてみました。

 いずれも俳優やアーティストとしも著名な人たちですが、中には映画監督の今村昌平や山田洋次などや有名なテレビの演出家も、演劇の演出を手がけたことがあります。

 また、ジェームス三木や筒井康隆など作家で演出に挑戦していた人もいます。

舞台演出家の現在

 様々なジャンルの人が、舞台演出をやっています。

 それほど舞台演出という仕事は面白い仕事だと思われますが、質の高い演出が行われているのかというと、必ずしもそうとは言えません。

 特に日本の場合、最初に西洋演劇を学んで、日本に持ってきたのが「演出家」だった為、近代演劇は演出家が指導者的立場にありました。

 俳優は生徒で教師が演出家のようなシステムができていました。

 演出家は演出家で、自分の立場によい、面白おかしく、あるいは派手で観客を驚濾過してやれ !

 という演出が結構ありました。
 演劇は「演出家の時代」なんて言われる時が、20世紀初頭あたりから言われ、ちょっと調子に乗った若い演出家が、作品の本質からズレた演出で面白がっていた1960年代から長く続いた時期もありました。

 特に1970年代からは、ほんの思いつきのアイディアを、目一杯全面に出したデコレーション演劇が流行りましたが、そのような作品は「1度か2度見ればもういいや」って感じになっていきました。

 そして、舞台を見て感動したり、心が震えたり、あるいは人に勇気や希望を与えてくれるような作品と演出法が残りました。

 そういう作品を生み出せる演出家は、よく勉強をしています。

 よく勉強するとは、多くの戯曲を読み、多くの舞台を見て、場合によっては絵画展や写真展、コンサートなどあらゆる芸術に触れていました。

 私が新国立劇場のチーフ・プロデューサーだった時代の芸術監督の栗山民也氏は、若い頃からお金を貯めると、海外(アメリカ、ドイツ、イギリス、イタリア、フランス、モスクワ)に出かけ、毎日のように必死で舞台作品を見歩き、美術館に通い、オペラやバレエ、さらには日本の能や狂言を見歩いていました。

 これは多くの著名な演出家が、みんな行なっていることです。

 演出家になる道、コースを示すことはできます。

 しかし、優れた演出家になる。
 あるいは、優れた演出家であり続けることは、ひたすらこれを続けること以外ありません。

 そして、最も重要なことは「優れた演出家になろうとする気持ちです」

 皆様の中から、近い未来に優れた演出家が生まれることを信じています。

 早くしてね、待ってます。

中島豊

 

 

 

 

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