最近、性加害とかセクハラ・パワハラなどなど、テレビを中心とする芸能界では大騒ぎになっております。
「性加害(せいかがい)」という言葉を、初めて聞いた時には「聖歌?」「聖火?」なんだ?
ひょっとして、よく「繁華街」とか言うから「製菓街」とかって、お菓子屋さんがたくさん並んでる街?
なんて思って、咄嗟に「性」の文字は浮かんできませんでした。
どちらかというと「性被害」の方が聞き慣れた言葉でした。
ジャニーズ問題が起きて初めて「性加害」って言葉を知りました。
まあ「性被害」の反語は確かに「性加害」って気はしますが‥

それまで「性被害」に対しての反語は「レイプ犯」あるいは「強姦魔」とかの、インパクトの強い言葉でした。
というのも「犯人」「レイプ犯」「強姦魔」と全て対象はそれを犯した人間に対しての言葉だったのですが、「性加害」というと、犯罪行為の方に趣が置かれ、それまでの犯した人間に対しての強烈なインパクトが緩んでしまったような気がします。
厳しいですが「強姦魔・中居正広」とか「レイプ犯・ジャニー喜多川」とか表現されると「やっぱこいつら悪いことしたなぁ」って思えるし、身に覚えのある芸能界の「奴ら」はビビるんじゃないかと思われます。
それにそう言う名前なら、誰が見たって立派な犯罪ですよね。
まあ、中井問題やジャニーズは「テレビ」や「歌」の世界で、私が永くいた演劇界での「セクハラ」「パワハラ」そして「性加害」はどうだったのでしょうか?
私の知っている限りのお話しいたします。
大先輩からの忠告
「いいか気をつけろよ、プロデューサーにはな、若い女優が近づいてきて、色々、迫ってくるからな、わかるな、絶対、それを『いただいたり』するんじゃねえぞ」
それまで、舞台スタッフとして仕事をして来て、それなりに楽しい毎日を送っていたのですが、先輩の舞台監督から、しばらく劇団「こまつ座」のプロデューサーをやって見ないか?
そう言われて、承諾した時の忠告です。

はじめ、それを聞いた時には、身を引き締めるというより
「えっ!そんないいことあるの? やばい‥うれし怖い‥」
なんだ、それ?
「うれし怖い」って‥でもそんな感じでした。
ワクワクしている自分と、そうなって実際に若い女優に「お手付き」なんかしちゃったら、やばいんだろうなぁ、ウフフ、ウフフでした。
確かに、演劇を作る現場には19歳から30歳くらいまでの、若い無名の女優が「ウヨウヨ‥ワサワサ‥ピチピチ」いました。
勿論、30歳以上の美しい熟女女優さんもいっぱいいましたが、こちらは「枠外」って感じでして、ひたすら「19歳あたりから30歳あたり」までで、この辺となんかあっちゃ「ダメなんだよね」と肝に‥命じると言うより、少しゆるめに肝に気をつけようね‥って命じてました。
‥でも、なんだろう、このワックワクするうれしい気持ちは‥。
といろいろ考えていたところに、再び、舞台監督がやって来ました。
「あのな、もし、女優とそういう関係になるんだったら、お前より格上の女優とならいい」
「格上?」
「だから、喜和子とか」
「喜和子?」
「太地喜和子だよ」
「ええっ! そんな、あるわけ無いじゃないですかぁ」
「お前、どうせやるならそれ位とやれ!」
「無理・むり・ムリ・夢裏!」
「情けねえなあ、まあいい、くれぐれも自分より格下と訳ありになるなよ!」
「へぇ」
いくらなんでも、そんな大女優と‥
でも、そうなったら、それはそれでいいかも‥と、その時までは見果てぬ夢を見てました。
待てど暮らせど
舞台監督からの、うれしいご忠告を頂いてから2年が経ちました。
この2年、待てど暮らせど、若い女優さんからの「ワクワク」めいた事や「ドキドキ」は、ただの一度も「いっぺんも」「匂いさえ」ありませんでした。
おかしいな、そろそろあってもいいんじゃねえのか?
勿論、そんなことがあっても「いえ、僕には妻も子もいますから‥すみません」とか言って、淋しげに笑う心づもりできていいたのですが‥
全くありません。
それどころか、この2年の間、関わった演劇のプロジェクトの中から、舞台スタッフと女優のカップルが3組できました。
そのうちのひと組は結婚まで行きまして、私、お祝いのスピーチまでしました。

それらは、決して変な関係ではなく、れっきとした恋愛関係でして、決して打算とか下心とかあるわけではなく純粋なものでした。
演劇界は思ったより清潔でした‥
私に忠告されたのは、清潔なものではなく
「プロデューサーに取り入って、役を貰おう」
とかいう類のものに気をつけろと言われてましたので、ある種、不純なものだったのですが‥
この2年、清潔なものも不純なものも皆無でした。
ある時、下北沢の居酒屋で、某大手芸能プロダクションのマネージャーと飲んだ時、つい酔った勢いで、そんな事を話したら、そのマネージャーさんは笑いながら
「中島さん、こんな下北沢あたりの安酒場で飲んでる様じゃ無理ですよ」
「そうなの?」
「そうですよ、銀座とか六本木、赤坂あたりで女優とか歌手とかと飲んでなくちゃ」
「赤坂‥」
「大体、テレビに出て売れればン千万ですよ、歌手だって当たりゃ億でしょ、だからテレビ局のプロデューサーやディレクターは若い女優から楽しいお誘いや、自分が誘ってもOKしてもらえるんですよ、中島さん車何乗ってます?」
「コロナ」
「ダメですよ、最低でもBMWじゃなきゃ、あれだって六本木のカローラって言われてるんだから」
「カローラ」
「演劇のプロデューサーに色仕掛けしても、1ステージ15,000円の仕事しかもらえないでしょ、ないない、中島さん女優口説いたって、1ステージ15,000円じゃ『フン、おととい来な』ってなもんですよ」
随分と酒が入っていたので、散々、言いたい放題言われましたが、全くその通りでした。
「でもね、中島さん、そんなの寂しいですよ、自分をモノとしてしか見られないんですよ、人間じゃないんです、ただの雌と雄ですよ、誰でもいいんです、できりゃ、誰でもいいんです売ってくれるなら‥嫌だねぇ、不純で」
演劇現場のセクハラ?
若い女優などからの「お誘い」は全くなかった演劇界ですが、若い女優や女性スタッフへの「セクハラ」や「性加害」はどうだったのでしょうか?
私の知る限り、「性加害」は聞いた事がありませんでした。
良くも悪くも、演劇は約40日間の稽古場での稽古があり、その後、長ければ1ヶ月の公演期間があります。
もう殆ど、家族のような関係ができていきます。
男優も女優もスタッフも一種のチームメートです。
その中での、純粋な恋愛はありました。
公演の最中にカップルが生まれる事も、そしてそのカップルが結婚まで進む事もありました。
「セクハラ」はどうだったのかと聞かれれば、昭和の時代のどこにもあったような「セクハラ」は「女性スタッフ」に対しては「ちょっとエロい男優」がちょっかい出していたようでした。
例えば楽屋とか宿の食事場で「○○ちゃん、彼氏いるの?」とか「今日、色っぽね」とか、そして時々、ボディタッチめいたことがあった程度でした。
まあ、今ではそれでもダメなんですが、数年前までは「またアイツ、女の子にちょっかい出して」と思われる程度でした。
しかも、声をかけるエロい奴も、ある程度分かっていて、決して「新人の女性スタッフ」にはそんな事はしませんでした。

大抵はある程度、ベテランの女性スタッフへの「からかい」でした。
そんな時女性スタッフは「フン」と鼻で笑って無視するか「ニッコリ」笑って睨み返していました。
演劇という密度の濃い、集団創作の場合、万が一にも「性加害」のような事があったら、その当事者は二度と演劇の現場にいられなくなります。
モテるのは圧倒的に男性スタッフ
演劇プロデューサーはモテません。
周りの女優も女性スタッフも、みんな男性スタッフが好きでした。
ある時、若い俳優と飲んだいたら、その人が
「中島さんね、スタッフはモテるでしょ、女優は大抵スタッフが好きですよ」
「あれなんでですかねぇ」
「同僚の女優何人かに聞いてみたんですよ、なんでスタッフってモテるのって?」

「なんだって?」
「しゃべらないからって」
「しゃべらないから?」
「スタッフって、寡黙で黙々と仕事して、なんか知的なんだそうです」
「知的?」
「普段だって、あんまりしゃべらないし、カッコいいんですって、僕ら役者は軽薄に見えるんでしょうね、ペラペラ喋ってるから」
「演劇プロデューサーだって、仕事の8割はしゃべってるし、それに、しょっ中、あちこち行ってペコペコしてるし‥」
大体、妻子がいるのにモテようって魂胆が「いけない」のだ、これからは「妻子の為だけ!」
とかなんとかなんか言っていた、私に危うい瞬間が‥
ああっ、ヤバイ‥膨らむ‥
それは、北陸地方の公演先での出来事でした。
1ヶ月に及ぶ旅公演の千秋楽を終え、明日は久しぶりに東京へ帰るという夜でした。
スタッフも俳優も、宿泊先のホテルでの食事を終えると、最後の夜を楽しみに三々五々、ネオンの街へ散っていきました。

明日は東京です
私は翌朝、皆を起こして東京行きの新幹線に乗せなければいけないので、午前1時には就寝しました。
無事旅公演を終えた安堵感で、ぐっすり寝ていました。
いきなり部屋の電話が鳴りました。
時計を見ると午前4時ちょっと回ったところです。
咄嗟に、街に出かけて行った誰かに何かあったのか?
急いで受話器を取りました。
「ヒック、なかじまちゃん?」
「?はい」
「お部屋、どこよ?」
内線電話出かけて来ているので、部屋番号はわかる筈ですが‥酔っている
「7階です、708です」
「行くわ」
電話が切れました。
声はベテランの美人女優Kさんでした。
遂に、自分にもそのチャンスが‥と思うかと思ったら‥こ、怖い。
急いで、肌けた寝巻きを脱ぎ、服に着替えるとベットを直し、散らかった荷物を整理し‥なんだか、牢獄の中で刑の執行を待つ感じで、緊張していました。
ここで何かあったらどうしよう‥イヤイヤ、絶対にそんなことは無い‥けど、酔ってる‥
この待っている時間が結構地獄でした。
が、30分経っても来ません。
「?」
45分経ちました。
きっと、酔って寝てしまったんだろう。
時計は間も無く午前5時です。
待ちくたびれたのと、変な時間に起こされた眠気と、しかし、6時30分にはツアーメンバーを起こさなければならないし‥なんだか思考が崩れ始め、洋服を着たままベッドに横たわった瞬間、ヘアのドアチャイムが鳴りました。
「あっ来た!」
急いでドアをそっと開けると、完全に目が座ったKさんが立っていました。
Kさんはフラフラと入って来ると、部屋の冷蔵庫を開け「ビールちょうだい」

そういうと、缶ビールを取って私に渡して来た。
プルトップを開けて渡すと「ヒクッ」としゃっくりをしながら受け取り、フラフラしながら窓の所まで行って一口飲みました。
「なかじまちゃんもお飲み! ヒクッ」
ビールの飲み口を私の口に押し付けようとしてきました。
「あっ、いや、僕はこれからみんなを起こして、新幹線に乗せなければいけないんで‥」
そう答えるとKさんは「フン」と鼻を鳴らして、再びビールを飲みました。
今度は一口ではなく、結構飲んでます。
「街で飲んでらしたんですか?」
「日野とね」
日野とは私より3歳ほど若い舞台スタッフだ。
生湯(うぶゆ)が酒だったと言われる、大酒豪女優のKさんに飲まされ、泥酔して道端に倒れている日野の姿が浮かびました。
突然、Kさんが私をベッドに押し倒してきました。
「ヒッ!」
思わず乙女のような悲鳴をあげてしまいました。
いよいよだ、でも、いけない事だ、でも、拒否したら‥後が怖い‥けど、そうなったら、後の後がもっと怖い‥
全身に力が入って、目をギュッとつぶってしまいました。

あれは随意筋では無いのです‥
Kさんの乱れた酒混じりの呼吸と、かなり速い鼓動が、二人の重なった胸から感じられます‥。
その時のKさんは私より13歳年上でした。
私は30歳。
まだまだ元気な男子の上に、43歳の熟女の体が私に被さって‥
やばい、絶対、こんな時、あそこを膨らませてはいけない!
だめだ、膨らむな!
しかし、43歳の女の肉体は私を膨らませるのには充分でした。
ダメだ、もう体が‥反応‥私は覚悟を決め、つぶっていた目を開けました。
目の前にKさんの顔が‥
ところが、Kさんはじっと私の顔を見つめながら「舞台は結局、役者よね」
そう言うと「つまんない」と言いながら立ち上がりました。
何が舞台は役者で、何がつまんないのか?
訳がわからぬうちに、Kさんは「明日、モーニングコールしてね」そう言うと、一気にビールを飲み干して帰って行きました。
「遊ばれたの?」そんなセリフが頭の中で点いたり消えたりしてました。
現在では、これは立派な「セクハラ」になるのでしょうか?
これは違いますね、私も覚悟をしたという事は‥膨らんじゃったし‥
ではパワハラは?
これは演劇界において、実に解釈が難しいのですが‥一番その様な事が起きやすいのが「稽古場」でしょう。
厳しい演出家が俳優、特に若い俳優に対し発する言葉の例を挙げると
「何度言ったら分かるんだよ、違うだろボケ!」
「おいっ、またウソ芝居しやがって、役がわかってんかっ!」
「そんな芝居で相手を説得できると思ってんのかよ、中途半なしばいすんじゃねえよ!」
「ダメ、ダメ、ダメ!何やってんだよ、もういっぺん!」
「どこでそんなクソ芝居お覚えて来やがったんだ、役者なんか辞めちまえ!」
これはほんの、ほんの、ほんの序の口です。

役者なんて辞めちまえ!
側から見ると、これパワハラです。
でも、言われている役者さんは
「ありがたい、鍛えてもらっている」
「できないのは自分が至らないからだ」
「言われているうちはまだ見込みがる、言われなくなったら次は使ってもらえない」
パワハラだと思っていないことがあります。
勿論「怖いな」「嫌だな」と思っていても、役を失うことの方が怖いのと、できない自分が悪いのだと思っています。
私の知る大演出家たちは、結構厳しく俳優に稽古をつけていました。
灰皿投げる!
人間性まで否定される!
竹刀で叩かれる!
色々なエピソードがありますが、それが「正しい」と思われていた時代は確かにありました。
今もひょっとしたらその風習が残っているかもしれません。
しかし、徐々に変わっていく事でしょう。
あえて20世紀と申しますが、20世紀に近代演劇が日本に根付き始めた頃「演出家」と言うのが「先生」であり「絶対的な権力者」でした。
それまでは「役者」が中心だった演劇創作が演出家や時に劇作家が中心となり「先生」となって行った訳です。
とりわけ現代の日本演劇の礎を築いた「築地小劇場」の創立メンバーが、その後、芸術上の大先生となり、戦後演劇を牽引していきました。
私の師匠の小沢昭一さんの世代は「千田是也」氏を神の様に思っていた様です。
その後の世代は小沢昭一さんや、宇野重吉さん、あるいは浅利慶太さん、私の場合は今村昌平、井上ひさし辺りですが、いずれにせよ先生と弟子、と言う様な関係です。
それに、仕事の依頼はプロデューサーからですが、半分は演出家が「あの役者を使いたい」という要望を出し、プロデューサーがそれを受け入れるのが普通です。
海外の演出家と俳優との関係は、お互いがプロ同士と言う意識での稽古です。
したがって、指導的な立場ではなく、共同作業としてのドラマ作りでした。
私が見た稽古は、俳優が演出家にプレゼンという感覚で自分の演技を見せます。
それに対し、演出家が様々な意見やアドバイスをします。
そこで何度か演技を繰り返して、その都度、ディスカッションをし、ある程度したら演出家は帰ります。
その後、俳優が残って自主稽古をし、翌日、再び演出家にプレゼンをするというスタイルです。
ある意味、プロのお仕事で、我が国は今だに「演出家」と「俳優」は師弟関係のような状態です。
プロとプロ
海外でも男と女がいて、そこに力のある者とそうで無い者がいれば、残念な事は起こるのかもしれません。
しかし、私が感じる限り、我が国の事象は少し状況が異なる様な気がしています。
それは理想論かもしれませんが、もし、もう少し我々に人間は男も女も、職業や社会的立場とは関係なく対等なんだ、という教育や社会通念があれば。
有名人や金持ち、社会的地位が高ければ、人間として偉くて、そういう人に対しては、たとえ酷いことされても我慢するのが得するんだとか、従わなければ損するんだとか‥。
芸能界の現場は、それで生活できるようになるのが、とても難しい世界です。
生活できなければ「プロフェッショナル」という自覚を持ちにくい仕事です。

仕事を貰うため、あるいは貰った仕事を失わないため、人間の尊厳は二の次、三の次で「性加害」されても「パワハラ」されても、仕方が無いんだという非常識を生んでいたのかもしれません。
どこの世界でも、悪き慣例のようなものがあるのかもしれません。
どんなに若くても、どんなに仕事がまだまだ未熟でも、どんなに立場が弱くても、どんなにまだ生活できるほどの収入が無くても、人間としては誰もが対等なはずです。
私の経験から、仕事が出来ない奴か、能がないのに売れてしまったり、実力もないのに出世してしまったのが「セクハラ」や「パワハラ」をしますし、最悪なのは仕事ができないくせに「自分は仕事ができる」と思い込んでいる奴が「パワハラ」「セクハラ」しますし、仕事ができる奴でも、人間としてはNGな人も大勢います。
人の価値はその人の稼ぐお金の額や、肩書きだと思っている、一種の「高額年収教」「社会的地位の高さ教」などは世界を覆っている邪教であり、大いなる錯覚です。
「性加害」も「パワハラ」もそして「紛争」や「戦争」もこの、経済と肩書きが「力と幸福」をもたらすという思い込みを早くやめる必要があるような、そんな気がしています。
中島豊