序章
「それでは、第二幕四場の頭からまいります、よーい、はい!」
演劇の稽古場、演出助手の掛け声(業界ではキッカケと言います)を合図に、稽古が開始されます。
これ、かなり気分が上がります。
演出助手とは、稽古場での舵取り役でして、演出家が船長だとすると、演出助手というのはまあ、航海士みたいな役目でして、俳優やスタッタフも「演出家の先生」には、ちょっと‥と、躊躇するようなことも、演出助手には気軽に相談しにきます。
実際、私も木村光一氏の演出助手をやった時、今まで口もきけなかったような、大スターさんや美人女優さんが、みんな‥
美人女優「ねえ、中島さん、三場の冒頭のシーンの動きですけど、ワイングラスを取って、相手役に手渡しするの右手にしてはダメですか?」
中島「あそこは左手で取って、目線は前を向いたまま、グラスを持った左手が、身体の前をクロスすることによって、主人公との今の関係性がよく見えるんで、左手がいいんですけど、やりづらいようでしたら演出家と相談してみます」
美人女優「分かりました、じゃあもう一度挑戦してみますから、稽古の時、見ていてくださいね、でも、なんかぎこちない気がして‥」
中島「分かりました、チェックしておきます」
なんか、自分が仕事できる人みたいな感じがして、ちょっとした陶酔感なんですね。
なんでだかわからないんですけど‥
俳優は一生懸命に演技をしても、それを客観的にはみられないので、演出家席から見ている人の言葉を頼りにするんです。
それ、なんだかちょっと「いい気分」なんですよ。
演出助手はどうやって仕事の依頼が来るのか?
演出助手という仕事は、演劇のスタッフなのですが、他のスタッフと比べ、少しだけ市民権がありません。
つまり「職業は?」
そう聞かれて演劇の世界では「俳優です」とか「舞台スタッフです」ですとか、あるいはもっと細かく「演出家です」「プロデューサーです」「照明家です」「舞台音響家です」「舞台監督です」「プロデューサーです」などと言いますが「私は演出助手です」とは、あまり言わないのです。

では何というか?
ただ単に「私?、舞台スタッフです」と言うだけです。
「演出助手です」というのが分かりずらいのと、「演出助手」を専門の職業にしている人が、少ないというのもあります。
最近は「演出助手専門の舞台スタッフ」も出て来ましたが、まだまだ人数は少ないです。
それは演出助手の仕事だけで、1年間仕事のスケジュールを埋める事が難しいからなんです。
演出助手の仕事は、稽古から本番初日までの1ヶ月半位でして、演出助手だけで生活するとなると、年間8から10作品程度の仕事がなければ、無理なんですね。
なかなか、そんな状態は難しいのでして‥
ですから、ほとんどの演出助手は、演出助手の仕事が終わると、舞台監督の下でその作品の演出部スタッフとして仕事をすることが多いいです。
それが終わると、今度は演出部として別の作品のスタッフとして働くか、上手く演出助手の仕事が入れば受けることになります。
演出助手の仕事が入る時は、演出家とプロデューサー、あるいは舞台監督が相談の上、「次回公演の助手は〇〇さんにお願いしたい」というふうに声がかかって決まります。
まあ、大抵は演出家が「〇〇君がいいかな」とか言って、プロデューサーが「じゃあ、その期間空いているかスケジュール聞いてみます」という流れで決まります。
ですから、実績のある演出助手は、ほぼ演出家の指名で決まっていく感じです。
そして、大体の演出助手が、演出家ファミリー的な感じで決まっています。
つまりAという演出家は、大体Bくん、Cくん、時々Dさんで決まり。
とか、「最近中島君は木村光一さんの演出助手が多いいね」とかいう感じです。
演出助手になるためには
ほとんど、人脈と実績で仕事が決まるなら、新人はどうやったら演出助手になれるんだ?
これ正直、難しいんです。
実績があって、人脈があって仕事が決まってくると言いましたが、それはその通りなんですが、では絶対にチャンスはないかというと、その道は本当に細い道ですが、あります。
それはこの業界にありがちな、明確なコースというものがなので、仕方がないのですが、それでも新しい演出助手は生まれてきます。
そうでないと、演出助手が枯渇してしまいます。
では、新しい演出助手はどこから出てくるのか?
明確なコースはありませんが。

俳優に好かれてないんですよ、なんか、つっけんどんな態度が‥
演出助手になるには、誰かがあなたを演出助手に推薦しなければなりません。
1番の近道は劇団の演出部に所属することです。
劇団演出部への道は、演出家の成り方や舞台監督の記事にありますので、参考にしてください。
劇団の演出部は舞台監督に進む人材、演出家に進む人材、あるいは制作になる人材など、あらゆる可能性を持っています。
また、どの道に進むにしても劇団の演出家に付いて、学ぶチャンスを得られる事も多く、その一つが劇団所属の演出家の演出助手をやる事です。
研究生になって早ければ半年、あるいは1年後あたりに演出助手として劇団の本公演に参加します。
その後、演出家が劇団外で演出の依頼を受けると、劇団の演出助手を連れて行くことがあります。
そうすると、演出助手としての認知がされ、以後、他の演出家やプロデューサーから仕事が舞い込むことが大いにあります。
私の、45年の経験で、優れた演出助手が優れた演出家になるとは限りません。
また、演出助手で難あり、と言う人物が素晴らしい演出家になったケースもあります。
この辺、曖昧ですが、やはり人間的な魅力、親しみやすさ、ユーモアのセンス、など、人間が集まって、人間を演じる時に、一番大事なのがこの人間としての魅力です。
まあ、それをも凌駕する「天才」という人もいますが、極々少数です。
実戦・演出助手の仕事
では、具体的に演出助手はどのような仕事をするのでしょうか?
順番にお話をさせていただきます。
稽古開始前
まず、台本ありきです。
公演のための台本が届いたら、一通り読んで、漢字の読み方をしっかりと調べます。
特に固有名詞は大切です。
漢字などで、ふた通りの発音があるような場合、
例えば「日本」を「にっぽん」と言うのか「にほん」と発音するのかは、作家に確認をとります。
作家が故人の場合は、一般的にどちらが多いかを調べた上で、演出家と相談し「稽古開始日」までに決定しておきます。
所作・方言指導者の準備
一通り、読み方を確認した後、特殊な所作や方言が必要かどうかを検討します。
特殊な所作とは、例えば、茶の湯のシーンがあるとか、ヤクザの仁義を切る場面があるとか、
社交ダンスの場面があるとか、などなどで俳優に所作指導が必要かどうかを検討し、必要な場合はプロデューサーに指導者を探してもらいます。
特に時代劇などでの「お茶を立てるシーン」や殺陣という、いわゆるチャンバラのシーンなどは、特別に指導者に入ってもらい、動きをつけてもらいます。

一般的なのは方言指導で「東北弁」「関西弁」「九州弁」などなど、特に需要のある関西弁は、それ専門の指導者がいますし、私がプロデューサー時代には「俳協」や「前進座」「文学座」など、多くの俳優が所属している劇団に問い合わせをしていました。
「今度、明治時代の甲州地方の言葉が必要なんですが、そちらにどなたかいらっしゃいますか?」
「甲州‥山梨出身の俳優がいるので聞いてみます」
後日連絡がありました「明治時代の甲州言葉や正確には分からないけど、親戚のお爺さん、お婆さんから教えてもらえるので、なんとかできるとのことです」
そうやって所作指導や方言指導の先生を決めておきます。
稽古スケジュール作成と俳優のNGチェック
稽古開始前の最後の仕事は、稽古スケジュールの作成です。
大抵、古いポスターの裏などを使って、月日、稽古時間、稽古内容、備考と仕分けて表を作ります。
月日 稽古時間 稽古内容 備考
6月1日 13〜18 顔合わせ、本読み 採寸あり
6月2日 13〜18 本読み
中略
6月8日 13〜21 立ち稽古 一幕一場、二場、三場 宣伝用スチール撮影
上はごく簡単に作った稽古スケジュールです。
実際には月日、稽古時間、稽古内容、備考の項目でマジックインキで表を作り、その表を稽古場の壁に貼っておきます。

稽古初日は顔合わせと本読み、衣装製作用の採寸があります。
2日目は本読み稽古 13時〜18時 以後5日目まで本読み稽古を続け、
稽古8日めから「立ち稽古」に入り稽古時間もこの日から13時〜21時と成ります。
備考にはその都度、カツラ合わせとか、録音とか、衣装合わせなどが記入されます。
この稽古内容は稽古の進行や出来具合で、頻繁に変更されるのと、俳優のスケジュールによって組み立てられる場合があります。
俳優のスケジュールとは主にテレビのドラマ撮影や、レギュラー番組への出演が、稽古時間と重なる場合、その俳優の入り時間‥例えば、稽古は13時からだけど、その俳優は16時に入ってくるとなると、その俳優が出ていない部分の稽古を先にしておくなど、稽古の組み立てをしていきます。
そうやって、稽古を開始する準備を進めていきます。
演出助手の稽古進行
本番の1ヶ月前、ミュージカルですと2ヶ月前から稽古に入ります。
稽古は基本的に演出家が俳優の演技に対し、さまざまなアドバイスをしたり、動きの注文をつけたりして進みます。
演出助手は演出家が俳優に付けた動きや、「ダメ出し」と呼ばれる演技への注文や修正をチェックしていきます。

私は付箋を使って、演出家の「ダメ出し」を書取り、台本のその箇所に貼っていきました。
付箋は一回の稽古で、100枚ほどになり、稽古が終わった後の台本は付箋の林状態です。
それを台本のページの上の余白の部分に定規で2本線を引き、上の段には付箋に書かれた演出家からのダメ出しを書き写しておきます。
そうすることによって、演出家が言ったダメ出しの全ての台本に留めておくことができます。
これは時々、演出家が来られない時や、俳優の自主稽古に立ち会う際に、演技のチェックに役立ちます。
大事なことは、演出家の言ったことや指示したことを、俳優がクリアー出来ているかをチェックするのが、演出助手の仕事で、演出家と違うのは「創造的な事はしない」と言う事です。
それはあくまでの演出家の領域で、演出助手はそれをしっかり管理したりチェックしたりするのが仕事です。
線を引いた台本の、下の段は俳優の動き、どのセリフの間でどちらに動くか、などを書き入れます。
ダメ取りの裏話
演出家がダメ出しと言って、俳優へのアドバイスや修正、あるいは動きの要求をする場合、稽古の初期段階では、それこそゆっくりと、手取り足取りという状態でやっていきますが、ある程度稽古が進行してくると、例えば一幕一場なら、その場面を止めずに「通し」という呼び方をしますが、ノンストップで芝居を続けます。
それを見ながら演出家は隣に座る演出助手に「今の所、語尾をはっきり」とか「今のセリフ、正面向いて」とか様々な修正箇所の指摘を伝えます。

そんな時、ふっと、ふっと、彼方に意識が行くことがあります。
俳優はそれを見逃しません。
それでも時々、演出家が疲れているのかぼんやりして、演出助手の私にダメ出しが来ないことが数分続きます。
目の前で稽古している俳優もそれに気がつき「あれ?」という雰囲気になってきます。
そんな時が、演出助手の見せ所で、あたかも今にも寝そうな演出家の口元に耳を持っていき「ダメ出し」を聞くふりをして、必死に付箋に何かを書き込んで、稽古をしている俳優を凝視します。
演出家席サイドは寝てないぞ!
という芝居をすることがあります。
また、演出家席で演出家と演出助手が話をしていると、前で稽古をしている俳優、特に若手俳優たちは緊張するようで「中島さんが演出家と話していると、きっとあいつは下手だから降ろしてしまえ、って言ってるのかもしれないって、怖いんです」そう言われたことがあります。
もちろん、演技に関しての話がほとんどですが、時々、演出家が私の方を向いて小さな声で「キミ、あの女優、1ステージいくら?」と聞いてきました。
私がプロデューサーなので、聞いてきたのですが「1ステージ8万円です」と正直に答えると、目を丸くして「ウチの劇団は1ステージ11万円も払っちゃった!」とか‥
ある時は「あの女優、語尾が流れるだろ? ベタベタ、お嬢様芝居が抜けないんだよ、困ったもんだな、キミ、今夜あたり一発やっちまえよ」
勿論、冗談なのですが、結構、危ないことも言っています。
でも、そんな冗談で笑うと、俳優は「ああ、自分の演技が酷くて、笑ってる」そう見えるようです。
俳優の相談相手としての仕事
そんな演出助手の仕事で、最も重要なものの一つに、俳優からの演技の相談があります。
俳優によっては、自分の演技に疑問を感じていたり、演出家からの注文が今ひとつ理解できない場合があります。
通常は演出家に疑問を投げかけるのですが、セカンドオピニオンではありませんが、演出家に相談しづらいとか、あまりにも演出家が有名な場合、若手の俳優は簡単に質問ができないなどがあります。
そんな時に、俳優は気軽に相談できる「演出助手」に対し、様々な質問を投げかてくることがあります。

「演出家の指示で、このセリフを言う時、相手役を見てと言われるが、実は相手役の〇〇さんが、視線を合わせてくれないので、とてもやりずらい、なんとか言ってもらいないか?」
などの相談があります。
「分かりました、次の稽古の時にチェックして、こちらから見て変だったら、演出家に進言します」
すでに演出家からの指示が出ている場合は、演出助手としてアドバイスをしますが、新たなる問題に関しては、創造分野の責任者である演出家の判断を仰ぎます。
演出助手は話を聞いて、創造的な部分は演出家に伝え、答えをもらいます。
あくまでもいい聞き役に徹することが、演出助手でして、そこをしっかり区別をしているからこそ、俳優も演出助手に相談ができるのです。
演出助手のギャラ(賃金)
演出助手のギャラ(賃金)は、1作品で幾らという計算です。
まあ、計算でもなんでもなく、稽古が幾ら、本番が幾らと言う考え方ではなく、作品1本いくらという感じです。
若干、年齢やキャリアによって異なりますが、私が支払っていた金額は、20代〜30代の演出助手で
500,000円から600,000円程度支払っておりました。

演出助手とは大体、若手の演出部員が多いのですが、時々、ある程度年配の人もいらっしゃるので、キャリアを考えて、その時は700,000円以上お支払いしておりました。
それ以上になると、演出家のギャラと拮抗してしまうので、この辺りが限界です。
これが、稽古前からの動き、稽古、本番が落ち着くまでのチェックなど含めてですから、実質は2ヶ月程度の拘束での支払額です。
決して高い金額ではありません。
むしろ、少ないと言った方がいいですね。
これで、かなり売れている演出助手です。
かなり売れているとは、演出助手の仕事が年間に4本程度あると言うことです。
年収は多くて240万円から280万円です。
はっきり申し上げて、このような演出助手は業界でも3人位です。
演出助手専門のスタッフがいないと言うのは、このギャラの少なさも一つの要因です。