ドラマが変わっても、環奈、風花、美桜、すず、アリス、里帆、芽郁、最近の優実やのり子、顕、寛、健、秀俊、亮に亮平、蓮、賢人‥
2025年春の新番組、一時期に比べ、ドラマが多くなって来たような気がしませんか?
私もプロデューサー時代の癖で、俳優を見るために一応全部見ています。
NHK大河「べらぼう」から始まって、朝ドラの「あんぱん」テレ朝「天久鷹央の推理カルテ」フジ「人事の人」「Dr .アシュラ」「あなたを奪ったその日から」TBS「対岸の家事」日テレ「恋は闇」「なんで私が神説教」などなど。
勿論、まだまだって、レコーダーの中には常に20時間くらい溜まっています。
で、皆様もお気付きでしょうが、先週最終回が終わって、翌々週からの新番組を見ると「あれ?先々週は栄養士だったのが、医者になっているし‥人の良いおじさんが、意地悪な教頭先生になってたり、理事長や校長、代議士の先生は大体同じ俳優がやっていて‥」
なんだか、テレビ業界はちょっとした劇団みたいに、同じ俳優が色々と違う番組に違う役や、どうかすると同じような雰囲気の役で出演していますよね。
日本にいる俳優の数は、4万人から5万人と言われているのに、なぜ、同じような俳優さんが出てくるのでしょうか?
いくつかの理由を考えてみたいと思います。
テレビドラマの放送回数が減っている?
1980年代頃まで、テレビドラマは1つの作品が2クールと呼ばれる、半年間で最大26話完結のドラマが主流でした。
「渡る世間は鬼ばかり」とか「水戸黄門」「傷だらけの天使」など、26話を超えるテレビの名作ドラマが沢山ありました。
その後、バブルが弾けて、各企業とも宣伝費のテレビスポンサー料を削減していきました。
必然的にドラマにかけられる予算も減り、大人数が出る作品や精巧な舞台装置が必要なもの、あるいは遠くのロケ地に行かなければならないなど、予算がかかる作品の製作は大変難しくなっていきました。
知り合いのプロダクションのマネージャーと話しても、それまでは「居並び大名」と言って、将軍が登場する場面で、大座敷に50人は並んでいた武士達が20人になり‥やがて時代劇の中でも将軍登場のシーンは無くなったと嘆いていました。
逆に増えていったのが、バラエティーと言われる、クイズやコント、トークなどを中心とした番組で、低予算てすむモノが増え、ドラマ制作は減っていきました。
その反動で、2時間ドラマなどしっかりしたものも作ってはいましたが、現場は火の車、スタッフも1日20時間近い労働の中で、ギリギリ放送に間に合わせる状況でした。
私が見たあるテレビドラマの撮影日程表の欄は、9:00〜27:00と書いてありました。
27:00って、午前3時?
とにかく月火リハ水木本番で金曜日オンエアーという、とてつもない撮影スケジュールでした。
ゆっくりと、長い作品を作ることが困難になっていきました。
2025年現在では、ひとつの作品で1クール13話ですが、実際は番組改編時期や特番で10話で終わりが多いのではないでしょうか?
俳優もかつて、ひとつの作品に出演することが決まると、2クール26話はあったのが、2ヶ月から3ヶ月で終了です。
単純に考えて、俳優もスタッフも収入は半分‥いや、半分以下です。
有名タレントの奪い合い=視聴率確保
それまではじっくりと半年以上かけて作品を練り込んで作って来たのが、半分の期間で作らなければならない、しかも諸条件があって、ひとつの番組で、ロケに出られるテレビクルーの人数や、機材の制約があります。
シナリオ段階で、地方ロケは関東近県なら可能だが、それより遠いのはNGです。
そして「視聴率は最低でも5%超えろ!」との厳命が降ります。
なぜなら、スポンサーが出すお金は、企業にとっては「宣伝費」です。
視聴率が落ちれば宣伝効果が無いと判断して、スポンサーを降りる事だってあります。
なんとしても人気俳優をキャスティングして、スポンサーに協賛し続けて貰わなければなりません。
しかし、視聴率の取れそうな人気俳優は、2年後から3年後のスケジュールを取り合う状況です。

「うちの○○○子、なんですけど、2027年秋、今、日テレとテレビ朝日、そして朝ドラの話も来ているんで、今月末には決めようと思ってまして‥」
などと、俳優の事務所からのプレッシャーもあります。
配役をじっくり考えていたら、他の局や作品に取られてしまいます。
どうかすると、作品が決まっていないのにスケジュールだけ抑えてしまうこともあります。
「2027年春の月9は、佐藤健、芳根京子、目黒蓮、賀来賢人で古田新太と高畑淳子捕まえたから、
とりあえず、これでなんか作ろう!」
ドラマの内容はこの俳優達で何が出来るか?
そこから考えます。
しかし、実は俳優のプロダクションも必死なのです。
俳優は当たり役が欲しいのです。
特に20代でヒット作に恵まれれば、俳優もプロダクションも安泰です。
当たり役とは「ごくせん」「トリック」と言えばそれだけで「仲間由紀恵」と名前が出ます。
同じように「相棒」と言えば「水谷豊」、「ドラゴン桜」なら「阿部寛」となります。
おそらく「蔦屋重三郎」と言えば「横浜流星」となる気が致します。
若い女優さんでいえば「不適切にもほどがある」の「河合優実」など若くして代表作に恵まれました。
勿論、本人の才能もあるのですが、途端にあちこちから出演依頼が入って、今やとんでも無い売れっ子です。
彼女はおそらく、まだまだヒット作に恵まれて行くでしょう。
そして、作品内容ですが、最近のドラマの多くは、シナリオライターにお願いする時に、野心作や冒険作で勝負して失敗すると、プロデューサーの首も危ないので、人気のあるマンガ、もしくは小説をベースに作る事にします。
その方が安全牌ですし、視聴率もある程度計算できます。
数字が全てになってくると、視聴率が取れるタレントを捕まえたくなり、それが出来るのが有能なプロデューサーと評されます。
中居正広問題や、ジャニーズの問題など、水面下では薄々わかっていても、それでキャスティングに差し障りが出るといけないので、おそらくプロデューサーやディレクターは黙認していたのかもしれません。
1も2もなく、名前のある有名タレントなら、誰でもいいから捕まえよう!
無名の新人を大抜擢して、視聴率が取れなかった場合の責任はプロデューサーに行きます。
が、有名タレントを持ってきて、視聴率が稼げない場合は脚本やタレントの問題になります。
勿論、プロデューサーの責任もありますが、無名の新人で冒険してアウトになるより、大分、責任は軽くなります。
ですから、プロデューサーも人の子、崇高な芸術などと言っていて視聴率取れなきゃ、スポンサー企業からそっぽ向かれるし、駄目プロデューサーの烙印を押され、窓際一直線です。
ここは旬の有名タレントを必死で取らなければ‥なんです。
新しいタレントを探す時間と方法が‥無い
かつて、新劇団の3大劇団と呼ばれた俳優座、文学座、民藝、さらにはテアトロ・エコーや劇団雲、青年座、などが活発に上演をしていた頃には、各劇団にテレビドラマや映画の主役級の俳優が目白押しでした。
加藤剛、栗原小牧、初代水戸黄門を演じた東野英治郎がいた俳優座、杉村春子、太地喜和子、江守徹、北村和夫、渡辺徹さらには養成所出身者には中村雅俊、田中裕子、桃井かおり、松田優作の文学座、そして重鎮、宇野重吉、滝沢修、大瀧秀治、奈良岡朋子、樫山文枝などの民藝。
スターがワサワサいて、さらに毎年養成所からスター級の新人が育って来ていました。
映画やテレビのプロデューサーは年に数回、劇団の公演を見れば、力のある「新しいスター」の可能性を持った新人が次々に目の前に現れて来ました。
新劇団ばかりではありません、小劇場と呼ばれていた「つかこうへい事務所」「夢の遊眠社」「第3舞台」「劇団300」(さんじゅうまる)「劇団新幹線」「大人計画」などからも、名だたるスターが沢山生まれて来ました。
私は巨匠の山田洋次監督が、よく演劇の公演にいらしているのを見かけました。
多少の面識がありましたので、思い切ってお声を掛けさせていただきました。
「監督は良く舞台をご覧になっていらっしゃいますけど‥」
「僕はね、俳優を探しているんですよ、力のある俳優を‥」
山田監督が舞台をご覧になって、ご自分の映画に出演させた俳優の代表がこまつ座の「すまけい」や自由劇場の「笹野高史」さんでした。
昔はよく、映画監督やプロデューサー、テレビのディレクターやプロデューサーなどが劇場に来て、芝居を見ていました。
プロダクションのマネージャーも、そのような人たちに声をかけて、自分のマネージメントする俳優を見てもらっていました。
が、バブル以降、舞台製作そのものが少なくなり、俳優の事務所もテレビや映画の関係者を呼ぶことが少なくなって来ました。
そして、決定的だったのがコロナ禍の影響です。
さらに、テレビドラマの現場は10話前後でひとつの作品が終わるため、常に新しい作品の制作に追われ、じっくりと作品を作る準備ができなくなって来ています。
新しい作品を作るための、作家や新人を見つける余裕が無くなっています。

おのずから、現在のテレビに出演している俳優くらいしか知らないというプロデューサーは、その中かからキャスティングを考えます。
結果として、男優、女優、それぞれ20人程度の中から選んでいる状態です。
※かなり実績のある作家でなければ、連ドラの執筆はでき無いどころか、単発ドラマの執筆も難しくなっています。
テレビドラマの将来へ‥
現状を見ながら、誰が悪い、何が悪い、ああだこうだというのは簡単です。
しかし、私は現状のテレビ番組に不満がある訳ではありません。
ただ、長年舞台芸術やテレビ・映画に関わっていた人間からすると、日本人のドラマを作る能力は、本当はもっと、もっと凄い作品が作れるはずです。
私がテレビドラマを学んでいた、40年以上前には1話完結のテレビドラマは、次のようなセオリーがあると教わりました。
1、推理ドラマの犯人は、ドラマ開始から15分くらいで視聴者に分からせろ。
2、テレビドラマは途中で10分程度、テレビを離れて戻っても内容が分からなくならないように、ゆっくりとドラマを進めろ。
3、連続ドラマの場合は、例えば「水戸黄門」が最後に決める印籠を出すタイミングは、毎週同じ時間帯、番組終了の7、8分前に決めて、それ以外の時間帯には出すな。
ご家庭での家事の合間や、ちょっとした用事、例えば電話がかかって来るとか、訪問者が来るとかで視聴が中断されても、全体としての話がわからなくならないような工夫でした。
なるべく分かりやすく、簡単な内容にしなければ、誰も見てくれない。
そんな時代でした。
現在ではそんなセオリーで進めている番組はあまり見受けられません。
少し犯人なり、謎なりの解明は番組終盤になっています。
家事の合間にチラチラ見ていたのが、録画して、落ち着いて鑑賞するという事が定着して来たからではないでしょうか。
民放の場合はCMの時間がありますので、正味45分ほどの長さのドラマになっているので、あまり深く作り込むことはできませんが、それでも以前に比べ「しっかりとしたテーマ」を打ち出す作品が多くなっている気がします。

やばいよぉ〜
逆に全10話で8話あたりまでは、非常に緊張感あるドラマ展開だったのが、9話、10話で腰砕になってしまったドラマも見受けられます。
もう少し準備期間があれば、きっともう少し上手い展開にできたのでしょうが‥。
テレビそのものは、皆が関心あるニュースやドキュメント作品、あるいは映画をテレビでオンエアーする事など、様々な番組で成り立っていますが「Youtube」や「録画機能の発達」さらには「スマートフォン」「iPad」などの進化で、その役割が無くなっていくものも出て来ると思います。
しかし、日本のドラマ製作者たちにはまだまだ可能性があります。
フジテレビなんか、スポンサーがつかない事を逆手に取って「重厚な深い、深いドラマ」を作ってみてはどうでしょうね。
視聴者を馬鹿にしないで、有名俳優が出ていなくても、深くて難しいドラマが見たい人は大勢いると思います。
例え視聴者が少なくても、重厚なドラマを作るチャンスは今なのかもしれません。
何かが変化したり、新しいものが生まれる時、それまでの常識や概念とは全く別のものをベースにして出て来る事があります。
今の経済と効率が最優先の世の中が、崩壊し始める時。
企業も宣伝だけではなく、文化活動としてのテレビスポンサーというコンセプトを持って協賛をすれば、きっと質の高い内容の、しかもすこぶる面白いテレビドラマが生まれて来るのでは無いでしょうか?
わが国が、そんな時代になったら私たちの幸福の基準も変わっていくかもしれません。
それまで、もう少し‥な気がします。
中島豊