演劇の道に入ろうとした時、先人の演劇人たちから「やめた方がいいよ、食えないよ」
「一生貧乏だよ」「結婚なんかできないよ」「風呂無し六畳一間だよ」
そう散々言われてきました。
でも、そう言ってくる人たちを見て不思議でした。
だって、その人たち、食えているから死んでなくて「演劇なんかやめなよ」って言ってるんですよね?
この場合の演劇とは「役者」の事であって、確かに役者だけじゃなかなか食えないです。
でも、食えない役者はアルバイトして食えていましたし、役者やってて「餓死した」ってのも聞いたことはなかったです。
食う方法が「役者だけ!」とか言うなら、確かに厳しいです。
これに関しては、いずれ「プロデューサーの立場から、お金がらみでお話をしたいと思います」
スタッフに関しては、食えることは食えていました。
結婚に関しては、大丈夫、お見合いでなければ、私が知る限り食えない役者でも結婚している人は大勢います。
世の中捨てたもんじゃなく、結婚するのは「食べられなくてもいい!」とは言いませんが、
大体、結婚前の恋愛期間はお互い熱があって「貧乏かどうかなんて、どうでもいいの!」ってな気になってますから、まあ、大抵、これで結婚してしまって、後でしまったぁと思っても、
「まあしゃあない」と前向きに諦めています。
なぜか?
演劇界、周りを見るとそんな人ばっかりだからです。
男優の場合は、現在でも、「とりあえず男は家族を食わせなくては!」
と、必死にアルバイトして生活費を稼ぎます。

逆に「奥さんがいい所の正社員で、役者の旦那を食わせている」といった、健気なケースもありました。
女優さんは結婚相手が「舞台スタッフ」という人が結構いまして、そう言う場合は二人で楽しくやっています。
それにひとり、ひとりで生活するより、二人で生活する方が経済的だったりもするので、あながち「演劇をしている」からと言って、結婚できないということはありません。
「劇団の女優と結婚」しますと報告に来た、若い舞台監督がいました。
イケメンの舞台監督で、爽やかな好青年の彼は、大学時代から付き合っていた、女優の奥さんを支えようと、頑張って仕事をしていましたが、そのうち、奥さんが売れて、売れて、大スターになりました。
その青年がワハハ本舗の大女優「柴田理恵」さんのご主人で、一流の舞台監督です。
まあ、滅多にないパターンですが、でも、人生どうなるか分かりませんので、あまり、まだ来ない将来をあれこれ考えても、人生面白くないような気がします。
大体、演劇人は直感で生きていますから‥
役者の場合、アルバイトが長くて、バイトリーダーになったり、「社員にならないか」と誘われたりして、そっちへ行ってプロフェッショナルになった人も大勢います。
接客関係や営業関係で「うむ、あの人出来る」とか思われている元役者って結構いたりします。
飯が食える、舞台スタッフの種類
では、スタッフは食えるのでしょうか?
どこまでを食えると言うのか分かりませんが、少なくとも「舞台スタッフをやりながらアルバイトしている」と言う人は、会ったことはありませんでした。
スタッフと言っても、演出部スタッフ、照明スタッフ、音響スタッフ、制作スタッフ。
さらには床山と呼ばれるカツラ屋さん、これ最近ではヘアメイクさんと言って、カツラというよりウィッグ的な物が多くなってきています。

その理由としては「時代劇」が少なくなってきたのと、カツラより安い、さらにはカツラに比べてメンテナンスが楽だというのが主な理由です。
そして、衣装さん、殺陣指導のスタッフ‥最近はファイティング・コーディネイターなどと呼ばれています。
そういう職業の人たちが主な現場でのスタッフです。
この人たちは「ほぼ食えます」というか「食えてます」
というのも、大概のスタッフが会社に勤めています。
衣装さんなら「東京衣装」とか「松竹衣装」などの社員が、最終稽古から現場に入って千秋楽まで付いて仕事をします。
給料は所属する衣装会社さんから貰います。

カツラでしたら「奥松かつら」「太陽かつら」「丸善」などの会社の社員です。
同じく照明ですと「ASG]「あかり組」「東京舞台照明」などなど多くの照明会社があります。
音響も「新音」「東京演劇音響=TEO」「音映」「サウンド・クラフト」ほか、多くの会社があります。
照明や音響のスタッフは、その会社のメンバーで機材を含めて公演に参加し、やはり舞台稽古から千秋楽まで仕事をしています。
ほとんどが給料か歩合制で、所属会社から支払われます。
その所属会社へは劇団や劇場の公演主催団体が機材費、人件費として支払います。
金額はプロデューサーが会社と交渉して決めますが、大体、人件費は1日いくらとか、機材費もほぼ定額で決まっていて、プロデューサーは若干「頼みますよぉ、次もお願いしますから‥」とかなんとか言って少し値切ったりしすが、ほぼ決まった数字です。
この辺はまた別のチャンスで記事にしたいと思いますが、まあ、そこそこの収入になりますので、食えないということはありません。
おそらく少なくて年収400万円、照明や音響のスタッフで1年中ひっきりなしで、仕事をしていれば、1000万円という人もいるのではないでしょうか?
照明スタッフ、音響スタッフは基本的に稽古場には、最終通し稽古に1回か2回来るだけで、仕事のほとんどが、劇場での仕込みや本番です。
演出部スタッフが1ヶ月稽古をして、稽古手当を貰うより、劇場での仕事ははるかにもらう額が多いのが普通です。
ですから、休みなしで働けば、1000万円も夢ではないと思います。
これら現場スタッフとは別に「プランナー」とか「デザイナー」と呼ばれる、メインスタッフの収入は芸術プランへの「成果報酬」ですので、労働対価とは異なります。
ですから、有名な衣装デザイナー、照明デザイナー、音響デザイナー、美術デザイナー、あるいは演出家や劇作家もこの成果報酬対象者ですので、年収ン千万円という人も、珍しくありません。
こうなると「食える、食えない」なんてレベルじゃなくて、大金持ちです。
では私の場合=舞台スタッフから劇団制作部入社まで
演劇プロデューサーはどうなんでしょう?
全般に関してはという私の記事に演劇プロデューサーの年収と種類といのがありますので、全体像はそちらを見ていただければと思います。
ですから、今回は「私の秘密」を、特別にお出しいたします‥「特出し」です。
私はそもそも演出部スタッフで20代を過ごしました。
1980年頃25歳で、1年の内、10ヶ月強、稽古、東京公演、全国公演とやっておりまして、当時の年収が約270万円程度です。
2ヶ月の無収入は、仕事の合間とか、あえて開けて休んでいたりとかで、1年の10ヶ月働いでいました。
当時は劇団研究生を辞めて、フリーの舞台スタッフとして仕事をしていましたので、様々な劇団で請負仕事をしていました。
仕事は劇団やプロデュース会社が、舞台監督にお願いし、その舞台監督が必要な人数のスタッフを編成していました。
その編成の時に、私のようなフリーの舞台スタッフに声が掛かりました。

「中島くん、10月はどうしてる?」
「劇団○○の九州公演に10月20日までつかまっています」
「終わったら、三越劇場の11月公演ついてくれない?稽古は10月の15日から始まっているけど、帰ってきたら21日から来れる?」
「わかりました」
ってな具合で、仕事は途切れずにありました。
ギャラは10%の源泉徴収税が引かれて支払われましたので、年収としては270万円から27万円が引かれ、手取りとして243万円でした。
月平均20万円です。
そして、毎年2月から3月にかけて、確定申告をしていました。
白色申告というやつです。
職業を「演出家」として提出していた時の金額が「赤字申請」だったので、10%源泉徴収税の還付が、5月頃に引かれた10%の27万円がそっくり戻りました。
演出部スタッフなんていう職業区分がなかったので「演出家」として申請していたのですが、演出家は総収入の50%が研究費として認められていました。
本を買ったり、芝居を見たり、旅行に行ったりが全て研究費で領収書の必要はありませんでした。
その他、通信費、交通費、人によっては家賃も事務所賃貸料も必要経費として認められたので、243万円からそれらを引いて、さらに確か30万円くらいの基礎控除を除くと、収入はマイナス5万円とかになってしまい、源泉徴収税はそっくり戻りました。
もっと細かくいうと、少し多く戻りました。
なんだろうと思ったら、前年の1月から引かれた源泉徴収税は銀行に預けられているうちに、若干の利子がついており、それを含めて戻されました。
実家暮らしだからできたんだと思います、飯は実家でたらふく食ってました。
戻った還付金から、細々と健康保険を払っていました。
かなりいい時代でした。
その後、1984年の暮れに「株式会社こまつ座」に入社して、給料制になりました。
給料制になると、社会保険、所得税、住民税など支払い、さらにこまつ座は「厚生年金」の制度もしっかりしていました。
株式会社こまつ座の時代
劇団と付いていましたが、形態は株式会社でした。
当時、株の70%を井上好子(現在西館代志子)が、30%が井上ひさしが保有していました。
公開された株ではなかったので、まあ、同族会社でしたが、井上ひさし先生が
「芝居をしっかり食っていけなくてはいけない」
という信念で、各種社会保険や厚生年金に入っていました。
ここでの給料は最初は額面27万円で、手取りが22万円くらいでした。

当時4,000円の入場料、満席でも1,300,000円程度で、純液はほぼありません。
スタッフ時代の収入が参考にされたのですが、数ヶ月後には額面が33万円になり、手取りも27万円ほどになっていました。
これは、私の先輩が辞めてしまって、私がチーフの立場になったのが主な理由で、特別に功績を上げたとかいうことではありません。
ただ、運だけで給料が上がりました。
入社してからの2年は、賞与はありませんでした。
ですから年収としては396万円です。
これが、私が31歳の時です。
他の劇団の人の給与と比べたことがなかったので、さっぱり分かりませんが、そんなに多くもらっていた訳でも、すごく低かった訳でもないと思っています。
新国立劇場の場合
41歳で新国立劇場に入りました。
新国立劇場に入る直前の、こまつ座での給与は40歳で年収約650万円でした。
10年で年収がほぼ250万円ほど上がってことになります。
いわゆる新劇というジャンルの範囲では、多いいのかもしれませんし、年齢の割には少ないのかもしれませんが、少なくとも松竹や東宝、あるいは劇団四季などに比べれば少なかったのではないでしょうか‥1995年時点です。
私がロンドンに行く時に、その前々年にロンドン留学を終えて帰国して、建設途中の新国立劇場演劇チーフ・プロデューサーになった、酒井誠氏に色々とロンドン生活のアドバイスを聞いていました。
その時に酒井氏から「帰国したら新国立劇場に来ませんか?」と誘われました‥。
今村昌平さんの学校も1期生で、劇団芸能座も出来て2年でして、こまつ座も出来て半年という劇団で、新もん好きの虫がどうしても我慢できなくて、色々義理を欠いて新国立劇場にお世話になることにしました。
当時は「財団法人新国立劇場運営財団」といっておりまして、私、入る時に「公務員ではないですよ」と言われておりまして、それはそうでしょう‥大体「試験」とか受けてないし‥
言ってみれば「横入り」というか「裏口入学」みたいなもんでして‥

ですから、財団法人ってのがよく分からなくて、私は入団したのか、入社したのか、入会‥ではないとは思うんだけど‥。
人によると、入職というらしいのですが‥よく分からないので、まあ「新国立劇場に入りました」とみんなには言っていました。
身分は「団体職員」ということでした。
「国立劇場」が特殊法人で「新国立劇場」は財団法人ということで、劇場のハードは「日本芸術文化振興会」という所が持ち主で、私たち運営財団はそれを運営するという団体で‥だから‥めんどくさいんです。
数年してから「公益財団法人 新国立劇場運営財団」となりました。
財団に入っての給料は、私が学校を卒業して、新国立劇場に入ったとしたら‥その時はまだ新国立劇場はありませんでしたが‥もし、もし‥ってことで計算すると、こうなります。
そんな表をもらいました。
一応、毎年昇給しながら、時々、そう4・5年に一度くらい、特別昇給とか役職が上がって行く想定でした。
当時、給料は等級制になっていて、○等級○号報とか言うランクを付けられていました。
等級は1等級から6等級まであって、それぞれの下に1号報から50号報ほどありました。
号報は等級によって50までと等級や70位まである場合と、若干違いました。
後に「財団法人」から「公益財団法人」になった時に、これが変更になり、1等級が1番上の等級になりました。
で、新国立劇場での給与は?
入職した平成8年(1996年)9月の給与が以下の通りです。
写真は証拠書類ですが、見えにくいのでストレスがかかることをお許しください。
でも、実際も見ずらいです。薄いし、印刷少しボケてるし‥すみません。
ですので、この回のだけはフォローに数字を左にも出します。
当時の年齢は41歳です。

これ、私が41歳の時の月給です
本給=339,700円
扶養手当=21,500円
特別都市手当=21,672円
住居手当=27,000円
超過勤務手当=38,955円
通勤手当=26,146円(非課税)
課税合計=448,827円
総支払額=474,973円
そしてここからが凄まじいのですが、上記の金額から抜かれるのが‥
健康保険=19,270円
厚生年金=29,845円
厚生年金基金=11,220円
雇用保険=1,899円
社会保険合計=62,234円
課税対象額=386,593円
所得税=17,000円
住民税=9,800円
互助会費=2,720円
親睦会費=1,000円
控除計=30,520円
控除合計=92,754円
差引支給額=382,219円 (交通費26,246円込み)
※特別都市手当というのは、大都市圏に住む職員に対し、物価を考えての措置だそうです。
※住居手当は賃貸に住む人向けへの補助金です。
※扶養手当は結婚していて、子供が一人いましたので‥それです※この雇用保険は失業保険というやつですが、新国立劇場の役員になった時に払わなくて良くなったのですが、こまつ座j時代からほぼ30年払っていたのは‥チャラになって、定年退職時には1円ももらえなかったでのでした。
なんでぇ?
役員は経営者だから、失業補償がないんですって‥俺、劇場のオーナーじゃないんだけど‥
※互助会とは国立劇場と新国立劇場の職員が互いに助け合う組合だそうで、車を買った時にここから金を借りました。
※親睦会は新国立劇場の職員で作る、サークルのようなもので年に数回のイベントをしていました。
賞与は6月と12月にありました。
12月賞与の方が少しだけ額が多かったですが、少しだけです。
967,179円とかろうじて読めます。
これはそれなりの額でしたが、10万円弱減っての支給ですが、後々、賞与から引かれる金額の多さに、嬉しいはずの賞与が、悲しい賞与になって行きました。
この年の年収は、1月2月にこまつ座に居て、3月は1ヶ月無収入、4月から新国立劇場という、少し特殊な都市でしたが、6,358,632円で手取り額が4,544,800円
月額にすると378,733円でした。

時間が経っているのでとても見づらいですが、957,179円で手取りが870,040円でした。
41歳の家族持ちにはギリギリだったと思います。
ですが、演劇の世界では‥?です。
制作者というのは案外自分の収入を言わないんですが、新劇の世界ではまあまあ、商業演劇の世界から見れば、少ない‥テレビの世界から見たら‥お前、貧乏だな‥だと思います。
スペシャル! 公開中止命令覚悟、新国立劇場での5年ごとの‥給与 発表!
新国立劇場に入る前の劇団や演出スタッフ時代の明細は、もう少し項目も少なく、どちらかというと分かりやすかったのですが、新国立劇場の給与明細は、なんだかどれと、どれを足して、そこからどれが引かれて、途中で引かれる数字が変なところで合計されたり‥それが、正しいのは分かりますが、メチャクチャ面倒くさかったでした。
以後、大公開スペシャル・メニューですので、写真掲載のみでご勘弁くださいませ。
なお、結構、色々出しますので、いつ、公開中止になるか分かりませんので、ご了承ください。
まず平成13年(2001)9月、入職から5年目です
私、46歳です

支払額が非課税の交通費こみで544,601円、手取りがやはり交通費込みで401,314円です。
5年経っても月給は2万円弱しか上がっていません。
昇給は1年で4,000円を切るのです‥
これが現実です。

そんじゃ賞与は‥5年前が手取り額870,000円、5年後が949,433円
賞与は5年で8万円弱増えてます。
1年で16,000円です。 ホント、世間は厳しいんです。
次に平成18年(2006)9月です。
私、51歳の秋です。

ここは手取り額が449,136円です。見れますか?所得税と住民税で71,620円引かれてます。
この少し前から、交通費が半年に1回の支給で、定期代金と同じ額になりました。
ですから、この数字には交通費が入っていないので、その分を5年前には引いていた支給額に足して考えますと‥だいたい5年で7万円ほど上がった感じです。
なんだかんだ50代ですもんね。
子供も私立大学へ行ってますし、住宅ローンもガッツり持って行かれて、相変わらず厳しい状況です。

12月の賞与です。
これは住宅ローンで消え行きます。
1,588,603円の支給から392,166円引かれて、1,196,437円の手取りです。
次が平成23年(2011)9月です。
薄れていて見づらいのですが、手取りは457,847円です。
56歳になっています。
あれ〜っ!
給料は月8,000円しか上がっていません!
5年で8,000円です‥。
足踏み状態です。

下は12月賞与です。
こちらは5年前に比べ、90,000円減額です。
政治家先生の「身を切る改革とか、復興支援の為、身を切る」とか‥
とか、とか、とかで給料減りました。
一体誰の身を切ってんじゃい!の巻です。
ほんと腹立たしい!

さらに5年後が下です。
平成28年(2016)9月です。
61歳です。
ここで私、職員から常務理事になった年で、給料は役員報酬と呼ばれ上がりましたが、世の中の役員様というのに比べて、なんだかな‥もっと上がると思ったのに‥。
しかも、住民税と所得税とで13万円以上持っていかれます。
健康保険も月4万円以上‥色々持っていかれて、手取りは591,663円です。
で、退職しても失業保険も出ません‥役員は経営者だからだって‥大会社の役員と一緒にすな!

そして下は賞与です。
支給が見づらいですが1,954,738円で、手取りは‥目が・点
引かれているのが6,322,229円!
所得税383,118円って見えるけど‥
これ、号泣もんです

以上、他の職員とは一切関係ありませんし、いくら貰えるのかは、その時の役職や様々な諸条件、
基本的に公務員の準拠というスタイルで、人事院勧告を元に色々設定しているようですが‥。
公務員があって、公益法人があって、その下の財団組織ですから、お給料も公務員>公益法人>財団法人ですので、新国立劇場のメンバーと言っても、一般企業から比べれば給与の面では低いと思いますが、こと演劇界と言われると、もしかしたら高い方なのかもしれません。
おそらくテレビ局>演劇制作会社の有名制作者>商業演劇プロデューサー>公立劇場制作者>>>新劇制作者>>>>小劇場関係者
というような感じでしょうか‥
いずれにせよ、演劇で飯は食えるのですが、どんな飯が食えるのかは、どんなところでどんな仕事をするか次第です。
でも、どんな飯が食えるよりも、どんな事をしているのが楽しいのか? どんな仲間といられるのか? その仕事で誰が喜んでいるのか?
その方がお金があって好きなものを食べることができる事より、ズーっと、ズーっと大事だと思います。
そんな生き方ができるはが、芸術分野で生きる事だと思います。
役員の時代は「あんま、おもろくねえなぁ」でした。
業界に関心のある方、なんか、悩みがあったら、お手紙に書いてください。
時間がかかってもお返事書けるカモです。
中島豊