ひとくちに演劇プロデューサーと言っても、実は、ジャンル別に種類があります。
東宝・松竹のような大手資本の制作会社の社員で、プロデューサーとして仕事をする人。
俳優座・文学座・民藝、青年座などの新劇団の制作部に所属して、仕事をするプロデューサー。
夢の遊眠社、劇団新幹線、大人計画など、演出家や劇作家が中心となって、そのオリジナル作品を中心に活動する劇団のプロデューサー、この集団は一般には小劇場と呼ばれていますが、実際には大規模な興行を打つ集団も多くあります。
ここ数年出てきた、演劇制作会社、シス・カンパニー、こまつ座などが代表的な例で、プロデュース・システムで、公演を行う会社の社員としてのプロデューサーや、自主制作を行う、公立劇場、新国立劇場、世田谷パブリックシアターなどのプロデューサーがあります。
上演劇場も、3000人から5000人くらいの大きな劇場から、700人から1200人ほどの中劇場、さらに300人から700人程度の劇場から、50人、100人程度のキャパの劇場で上演するなど、規模も扱う予算も様々です。
大手制作会社のプロデューサー
日比谷界隈にそびえる帝国劇場、日比谷クーリエ、日生劇場、宝塚劇場、銀座の歌舞伎座、新橋演舞場、日本橋の明治座と、いずれも絢爛豪華な日本を代表する劇場群です。
我々の業界では、一般に商業演劇と呼ばれ、主に東宝演劇部、松竹演劇部、歌舞伎座などが公演主催者としてほぼ毎日のように公演をしています。
東宝はかつて有名女優(森光子・山田五十鈴・新珠三千代・司葉子など)を主役とした演劇で、1ヶ月興業をしておりましたが、1987年の「レ・ミゼラブル」の上演から、演目のコンセプトが変化し、現在ではミュージカルを中心に有名スターを集めた豪華絢爛な作品を上演しています。
松竹も歌舞伎の制作から、現代劇まで様々なジャンル作品を果敢に上演をしています。
プロデューサーは東宝株式会社、松竹株式会社の社員で、不定期におこなれる求人のほか、4年制大学の卒業者・卒業予定者を対象に定期募集が行われている模様です。
実際、受けた人間の話によると、WEBによるエントリーで1次試験が行われ、作文試験には「新しい演劇作品の企画」を提出させられたそうです。
いずれにせよ、倍率はかなり高いと思われます。
ただし、私の知り合いの東宝の演劇プロデューサーは、最初から演劇プロデューサーとして採用されたわけではなく、演出スタッフとして入社し、15年ほど経って、舞台監督をやった後、プロデューサーに転身しました。
そう考えると、プロデューサーへの道は一つではないと思われます。
実際、私の知り合いの、劇団、劇場、制作会社などのプロデューサーは、大半が元俳優とか元舞台スタッフなどです。
商業演劇と呼ばれる演劇と、その他の演劇との違いは作品上の違いはありません。
実際に商業演劇と呼ばれる作品の出演者、演出家、プランナー達は、その他のジャンル(新劇団・小劇場など)の演劇公演でも名を連ねている者ばかりです。
唯一、違うとすれば、他ジャンルの演劇に比べ、興行において利潤を上げなければならないという点です。
したがって、場合によっては、有名俳優や観客動員を考えてのキャスティングや演目に主眼がおかれるケースもあります。
このプロデューサーの給与は演劇界の中でもトッピクラスで、一流会社と言われる一部上場企業などに比べれば、少ないかもしれませんが、40代で年収は、おおよそ700万円超えで、その後、課長、部長などの役職によって10,000万円から2,000万円以上のプロデューサーも多くいるようです。
新劇団のプロデューサー
それなりの規模の劇団の制作部のプロデューサーで、一般には演劇制作者と呼ばれています。
それなりの規模というのは、定期的に年間数回の公演を行い、都内の300席から700席程度の劇場で上演する劇団のこと言います。
具体的には俳優座、文学座、民藝、青年座、青年劇場、テアトル・エコー、演劇集団円などのいわゆる新劇と呼ばれる作品を上演する作品本位、あるいは演劇活動の哲学的結び付きによる集団で、その多くは所属する俳優、スタッフで構成されています。
ある代表的な劇団として文学座を例にとると、俳優が所属する演技部、映画放送部と呼ばれる俳優のマネージメント部門、演出家、舞台監督、照明、音響、美術などのスタッフの所蔵する演出部、制作者の所属する、制作、チケット、各種事業を展開する企画事業部、会報やパンフレット編集などを行う文芸編集部、その名のとおり劇団の会計業務を行う経理部、数多くの俳優を排出した俳優養成所こと、劇団の附属演劇研究所などで構成されております。
これは新劇団の中でもかなり大きな組織ですが、その他の劇団でも演技部、演出部、制作部、養成所が主な構成部門として存在する集団も多くあります。
プロデューサーは新劇団の場合、制作部に所属し制作者と呼ばれています。
多くの新劇団の場合、劇団の俳優やスタッフによって構成される幹部会議を持ち、その会議で劇団の演目や芸術的方向性が検討されます。
劇団の制作者がその会議のメンバーになっていることもありますが、制作者は会議で決定された演目を演出家を中心とするスタッフと俳優と一緒に執行していきます。
制作者としての仕事は、主に営業販売、全国公演セールス、広報宣伝活動、予算管理、予算執行などです。
劇団の制作者の給与は、劇団の規模や公演回数などにより異なりますが、一般的な会社員と比較すると決して多くはありません。
芸団協の調査でも、制作者の平均年収は200万円から500万円程度とされている。
就労者の全年代を含めての数字なので、幅広さはあるが、数多くの制作者と付き合いのある私の感じとしてもそのくらいだと思われます。
勿論、それを上回る給与を得ている制作者も、多くはありませんがいらっしゃいます。
制作者の給与の原資に当たる劇団の収入は主にチケット収入、公的助成金、支持会員などの会費、また俳優のテレビ、映画出演による劇団の収入や養成所の収益を含める劇団もあります。
新劇団のプロデューサーになるには、特に決まった道がありません。
そこが業界の問題点でもあるのですが、俳優などとは異なり、制作部の新人募集も、不定期で毎年募集することがありません。
制作部員に欠員ができた時に、その欠員ができた人材によって、若い人を募集するのか、ある程度キャリアのあるベテランを募集するのか、が決まってきます。
ただし、劇団が欲しいと思う人材は一般公募ではなかなか見つからないのが現状です。
知り合いの多くの制作者は、劇団の養成所出身の俳優志望の人材だったり、劇団の公演時にアルバイトで来ていた学生だったり、元舞台スタッフだったりです。
探すのも知り合いの制作者に、どこかに良い人材がいないかと、昔ながらの人脈ネットワークで探しています。
※この辺りの演劇制作体の収入に関しては、別ブログにて記述予定です。
小劇場のプロデューサー
小劇場と一口に言っても、興行収益や観客動員数が数万人という集団から、100人程度の劇場で3回から5回ほどの公演を年に、1回から2回程度上演する集団までとても幅広いです。
1960年代半ば以降、それまでの演劇手法とは異なる作劇法や上演形態を持つ集団が現れ、アングラ演劇と呼ばれ、劇場以外のテントや喫茶店、ガレージなどで上演を行なっていました。
初期の頃に活躍した演劇人として、早稲田小劇場の鈴木忠志、状況劇場の唐十郎、天井桟敷の寺山修司、黒テントの佐藤信などが挙げられれます。
1970年代になると、劇作家の「つかこうへい」が登場し、演劇が一気に若者文化として広がりました。
つかこうへいは、それまでの100人から200人の観客を集めて上演してきた、小劇場のスタイルから、
400を超える客席数の新宿・紀伊國屋ホールに進出し、以後もパルコ劇場、銀座セゾン劇場と広げて行きました。
この時代、つかこうへいブームと呼ばれ、劇界もつか以前、つか以降と呼ばれています。
つか以降、野田秀樹の「夢の遊民社」渡辺えりの「劇団300(さんじゅうまる)」
鴻上尚史の「第三舞台」などが多くの観客を集め、彼らの演劇活動が「小劇場ブーム」と呼ばれるようになっりました。
彼らも、「つかこうへい」のように、小さな劇場から上演劇場は紀伊國屋ホール(418席)や、下北沢の本田劇場(386席)、青山劇場(1200席)などで上演を広げていきました。
小劇場演劇とは、その上演形態を指すと言うより、集団のリーダーが作・演出として、創作活動の中心として存在し、上演演目はオリジナル作品が主です。
この集団は、その多くが東京大学の野田秀樹、舞台芸術学院の渡辺えり、早稲田大学の鴻上尚史など、大学のサークルや演劇専門学校から発展し、プロの劇団になっていったものが多いです。
当初、小劇場は劇作家と演出家を兼ねたリーダーの他は、俳優だけの集団が多かったですが、スタッフとして制作部門を擁してていた劇団もありました。
数多くの小劇場と呼ばれる演劇集団も、その多くは立ち上げから数年以内に、解散や無期活動停止になっていますが、奇跡的に活動を続け、なお、その公演規模が拡大していった集団には、ほとんどの場合、プロデューサー的な劇団のマネージメントを行う人材がいました。
彼らは劇団の発展とともに、自らのプロデュース能力も向上させ、現在、劇界でも北村明子(夢の遊民社)、細川展裕(第三舞台)など、著名なプロデューサーになっています。
ただし、そこへ行き着くまでは、一旦、普通の会社に就職しながら劇団活動をしたり、アルバイト生活を続けながら活動したりと、全く収入がない状況が続気、ほとんどの者が、バイト先から「いつまでもそんなことしてないで、ウチで正式に働かない?」などと誘いを受け、そちら側に行ってしまう者が多くいました。
特に、飲食関係などに多くいる。
小劇場のプロデューサーの収入は年収0がほとんどで、アルバイトで暮らしながら、劇団の成長とともに自らが独り立ちし、先にあげた北村明子、細川展裕クラスになれば、数千万円と思われます。
制作会社のプロデューサー
劇団こまつ座、劇団新幹線、RUP、シス・カンパニー、ホリプロ、旧ジャニーズなどが代表的な例です。
基本的に所属する俳優がいないケースと、俳優が所属する集団とありますが、俳優がいる場合でも、その俳優に捉われず、様々な俳優を集めるプロデューサー上演するケースが多くあります。
集団の中心にプロデューサーがいて、公演の全てはそのプロデューサーからスタートします。
上演作品を決定し、演出家を含めたスタッフを決定、俳優を決定、予算を決定、収入支出など全てに責任と権限を持つのがプロデューサーだとすれば、制作会社のプロデューサーは米国型のプロデューサーと言えるかもしれません。
※ヨーロッパ型に関しては、別のブログにて書いてまいります。
彼らの収入に関しては、会社の規模にもよるが、殆どが会社の社長がプロデューサーであることから、
少なく見積もっても2000万円以上と想像できます。
年度によっては1億円近くに達するプロデューサーもいるかもしれません。
但し、興行が失敗した時のリスクも当然負わねばならず、精神的にも肉体的にも超人である必要があると思います。
公立劇場のプロデューサー
制作部門や技術部門を擁し、自主制作公演を行う公立劇場は、その多くが1980年代から90年代にかけて創設されました。
代表的な劇場としては、新国立劇場、世田谷パブリックシアター、彩の国さいたま芸術劇場、KART神奈川芸術劇場などがあげられます。
いずれも、若干の組織形態の違いはあるが制作スタッフを擁し、様々な舞台芸術の自主制作を行なっています。
設置は新国立劇場が国で、世田谷パブリックシアターが世田谷区、彩の国とKARTに関してはそれぞれ埼玉県と神奈川県です。
他の集団と異なるのは、いずれも芸術監督を任命し、芸術監督が作品の選定や、芸術的責任を持つという点である。
プロデューサーはある意味、芸術監督と二人三脚で、芸術監督の意図を汲み、実現化する務めをする。
プロデューサーは制作部に所属し、職員は一般公募により各公立施設の試験を受け入職するが、劇場設立当初は舞台技術、営業、制作関係などは専門性の高い職種に関しては、様々な業界から集めてスタートしました。
現在でも、不定期に専門性の高い職種に関しては、募集があります。
給料に関しては、国の基準、県の基準、区の基準で若干の違いはあるが、公務員給与に準拠してると思われます。
私の例で申し訳ないが、40代で800万円ほど、賞与、定期昇給があり、50代で1000万円を超えていました。
別格=劇団四季 宝塚歌劇団
上記のいずれにも当てはまる様で、どれにも当てはまらない創造集団に、劇団四季と宝塚歌劇団があります。
組織形態は創作スタッフと経営スタッフが存在し、多くの俳優が所属し、巨大な稽古場、管理棟、さらには工房まで持ち、年間数百ステージを自前の劇場にて上演しています。
プロデューサーは宝塚歌劇団の場合、阪急電鉄の一部門(事業部)社員という身分で、歌劇団によると、花・月・雪・星・宙の5組それぞれに、プロデューサーが1人ずついる。公演の企画や演出家らスタッフの起用案をつくって関係先と調整するなど、担当する組の作品と人事両方の意思決定に深く関わる。一つの組に約80人いる劇団員に対しても、配役などについて影響力を持ちます。
組織運営にあたって、プロデューサーには劇団員の抱える悩みに耳を傾けるなどの役割も期待されます。
劇団四季は2023年度の事業報告を見ると、上演回数2900回、売上高275億6000万円、従業員数372人となっている。
実際上演している舞台を考えると、おそらく1500人程度の外部を交えてたスタッフやキャストで運営されていると思われます。
規模からして、とても他の創造集団とは比較にならない程の巨大さで、エンターテイメント界のガリバーです。
永年、創立者の浅利慶太氏がジェネラル・プロデューサーとして、また、ほとんどの作品の演出家として支えていました。
浅利氏が亡くなった現在も、活動は衰えず、むしろ四季ブランドはそのステータスをさらに上げています。
2020年のコロナ危機にも耐え、今後とも日本のエンターテイメント界の大きな柱として君臨する存在でしょう。
この集団は多くのスタッフ、俳優が所属し、常に数本の作品が同時に上演されていていて、組織も非常に多くの部署を持っている、ざっと調べても、経営企画、企画開発、国際、演出担当 、人事、総務、経理、システム業務改革担当、MD事業、カスタマー、劇場担当、舞台監督、音響音楽、開発デザイン担当、舞台美術、技術運営担当、東京営業、関西営業担当、名古屋営業、全国新都市営業・社会事業、広報宣伝担当と、これは一部上場企業並みの組織形態です。
両社とも、一般企業のように定期採用があり、応募者も多数いると思われます。
宝塚歌劇団も劇団四季も、もはや演劇界の物差しでは測れない規模であり、ここから先は私の無責任な推測であるが、両社とも、給与は一般大企業並みと考えてもいいでしょう。
つまり、部長クラスで年収1500万円〜2000万円、役員クラスだと2000万円〜3000万円以上と思われます。
まとめ
以上、簡単に演劇プロデューサーの種類と年収予想を記してみました。
狭い業界ですので、それぞれのプロデューサーは、互いに交流したり、小劇場のプロデューサーが、、制作会社のプロデューサーに転職したり、新劇団のプロデューサーが公立劇場のプロデューサーに転職したりとのケースは多く見られます。
かつて、日本での主流は、劇団などの志を同じくした、俳優やスタッフが中心の演劇活動でしたが、1980年代からの「小劇場ブーム」と言われた、小さな集団の演劇に若者の人気が集まり、やがて大規模な公演を興行する集団も現れて来ました。
と同時に、演劇活動の全体を俯瞰し、大きな舵取りをするポジションのプロデューサーが、重要な役割を担うことになっていきました。
数年前からアート・マネージメントという言葉とともに、米国型の興行主的な存在がプロデューサーと呼ばれるようになって来ましたが、日本はヨーロッパ型の劇場や劇団が主体のノンプロフィット的な活動も盛んに行われていて、演劇活動を儲かるビジネスとして捉えるか、社会的な文化活動として捉えるかによって、プロデューサーの立ち位置も変わってきます。
日本のプロデューサーの多くは、その出自が新劇団や小劇場などからが多く、社会的な文化活動として、その芸術性にこだわった演劇の上演が多いのですが、そこに、大きな収益を上げながら、芸術性を担保する有能なプロデューサーが多く現れはじめ、今後の日本演劇を支える力となることと思われます。