平成7年(1995)9月、帰国後、新国立劇場の演劇プロデューサーになる予定の中島は、英国の演劇事情を学ぶため、まだまだ夏、真っ最中の成田空港から、英国ヒースロー空港に向かって🇬🇧に飛び立ちました。
国費留学です。
文化庁の用意してくれた航空券が、ノーマルチケット料金でしたので、ANAは座席をアップグレードのビジネスクラスにしてくれました。
ノーマルチケットは成田、ロンドン往復48万円くらいでした。
普通、個人の旅行で行こうとすれば、ディスカウントチケット往復で、だいたい8万円前後くらいでしたので「これキャンセルして安いチケットで行ってもいい?」
そう文化庁の担当の人に聞いたところ、帰国後、チケットの半券を報告書と一緒に貼って提出してもらうことになっているから、やってもいいけど、貴殿の経歴に傷がつくかもしれません。
どうせ傷だらけの経歴だからさ、と周りの強がって見せようがと思いましたが、それよりも
「お国に用意してもらったチケット換金して、ディスカウントチケットで行って、差額をくすねた‥あいつセコッ!」

そう言われると恥ずいので、仕方なく、そのままにして乗ったのでした。
結果、アップグレードのビジネスクラスだったので、そのままでよかったぁ。
隣に旅行社の添乗員さんが乗っていたのですが、その人、離陸するとすぐアイマスクをして、ガッツり寝てしまい、もったいない事にヒースローまでほとんど寝てました。
文化庁新進芸術家海外研修制度
これは文化庁が毎年行なっている事業で、新進芸術家の海外研修を応援しよう、という目的で始まりました。
この制度が凄いのは、大抵の留学って、まあ私費留学が多いいと思いますが、これは国費で渡航費の他に、生活費を支給してくれるんです。
国費で留学というと、昔は小野妹子とか、近代では夏目漱石とか、伊藤博文とかという、すごい人が行くんで、庶民は難しい試験に受かるとか、めちゃめちゃ秀才とかじゃなければ行けないのですが、この文化庁新進芸術家海外研修制度は、私みたいな落ちこぼれでも行かせてくれる制度でした。
詳しくは文化庁のホームページに出ていますので、詳細はそちらをご覧ください。
ここに、留学の条件とか、派遣が決まった場合、幾ら支給されるのとか、いろいろ書いてあります。
年齢によって制限がありますが、私の頃は、1年コース、2年コース、特別80日間コースの種類がありました。
私が行った制作者部門は、製作者に対する派遣制度が、決まったばかりでしたので、特別派遣80日間コースしかありませんでした。
1年位は行きたかったのですが‥。
数年後、制作者も1年コースができました。
行き先は、私が英国に行く前は、アメリカに行く人が多かったのです。
それが、私の行く5年ほど前から、英国が多くなってました。
私は演劇制作部門という枠組みで行ったのですが、それまで俳優や舞台スタッフの派遣はあったのですが、制作部門はありませんでした。
別途、音楽、美術、舞踊などもあります。
長年、制作者こそ行くべきと言われていたのですが、常勤の劇団の制作者が1年も居なくなっては、劇団が困るのではないか?
という、どこかの人が愚考していたおかげで、私の2年前までは、制作者の派遣がありませんでした。
それが2年前に、なんだか制作者もいかせないと、雰囲気悪くなりそうだから、文化庁が「制作者も言っていいことに決めた!」ってして、発表しましょう。
ということになったのです。
でもそれが決まったのが、秋で翌年の派遣員の審査がもう終わってしまった時でした。
でも、予算が付いちゃったので、なんとか誰かを送り込まなくては‥。
で、私たちの間では0号と言っていますが、無審査で行った人がいました。
もう時効でしょうから、ちょっとだけヒントを出しますが、新国立劇場の初代チーフ・プロデューサーの人です。
私は2代目の演劇チーフ・プロデューサーです。
そう書くと、新国立劇場のチーフ・プロデューサーは在外研修に行った人がなるのか?
と思うかもしれませんが、全くの偶然です。
その後、私は在外研修員の審査員もやりましたが、そのお話は後日、本ブログにて‥
「文化庁新進芸術家海外研修員制度合格への道」とかいうタイトルでもつけて書くつもりです。
応募書類作成
研修員になるには、まず、文化庁の(上記)新進芸術家の海外研修をしっかりお読まなくてはなりませんでした。
この制度、応募要項の内容が毎年、少しずつ変わったりします。
私は、在外研修に行った経験者から、応募書類で一番苦労するのが「招聘許可書」とか「Invitation」とか呼ばれる、海外の受け入れ先からの「受け入れ承諾」の書類(手紙)だよと、聞かされていたので、応募書類を出す8月の以前、4月には英文で手紙を書いてイギリスに送りました。
かいつまんで言うと
「そっちに行って、勉強したいのだけど『貴方から来ても良いよ』と言う文書をもらえれば、旅費とか宿泊代は日本政府が出してくれるので、お願いします、迷惑かけません」
と言う、かなりアバウトな手紙を送りました。
送った先は「アーツ・カウンシル・オブ・UK]と言う、英国国内の芸術団体や個人の芸術家から、文化助成金の申請を受けて、審査の末、適当と考えられる、芸術団体、個人に助成する機関です。
私が手紙を送った時は「UK」だったのですが、行った時には「アーツ・カウンシル・オブ、イングランド」になってました。
なんかUKでまとめて、ロンドンを中心にやってたのにイチャモンが出て、ウェールズとスコットランドとイングランドという風になったようです。

かなりアバウトな手紙を送った割には、1ヶ月後「アーツ・カウンシル・オブ・UK」からニック・ジョーンズという署名が入った、手紙を受け取りました。
手紙の内容は「希望は分かった。お待ちしてますので、細かい事がわかったら連絡ください」とごく簡単なものでした。
とりあえず、これで第一関門突破、書類をしっかり書くのと、知人とか芸術上の師とかの推薦状がいる。
現在は、推薦人1名となっていますが、私の時は無制限でしたので、数打ちゃと「栗山民也」「鵜山仁」「渡辺守章」の3氏に書いてもらいました。
後は「行って何をするのか?」という作文です。
私は、当時、「我が国でもようやくスタートした、芸術文化助成に関して、先進国のイギリスに行ってその実態を学んで来たいと考えています」
という趣旨の作文を書いて応募しました。
私の時は、とても運が良くて審査員の中にプロデューサーがいませんでした。
ですから、プロデューサーがどんな仕事をしているのか、詳細を知る人がいなかったのと、これから本格的に始める文化助成に関して、日本の中でどのような形がいいのか、暗中模索の時期だったのが幸いしました。
まあ、タイムリーな研修テーマだったのです。
私が応募する時には、いろいろな劇団の人が、多数応募すると聞いていました。
普通にしていたら、自分は他の応募者に負けると思っていましたから、審査員が「この人はこういう理由で合格させました」という「こういう理由」がみんなが納得しやすいのがいいと思って、助成金を勉強してきます!
で、書類審査は合格でした。
面接試験
8月の末に応募書類を出して、10月に書類審査合格の手紙が来ました。
手紙には11月の末に面接がある旨、書かれていました。
早々、推薦文を書いてくれた、栗山民也、鵜山仁、渡辺守章の3氏にお礼の電話をしました。
鵜山氏は「おめでとうございます、お役に立ててよ勝手です」とのお言葉。
渡辺氏からは「面談は形だけだから、大丈夫、ロンドン行けますよ」とお力をいただきました。
栗山氏は「イギリスに行くなら、面接試験で英語のスピーキングあるぞ、俺はなんの為に行くのか、その趣旨を5分間喋った、それくらいできるようにしておいた方がいいぞ!」
え〜っ!5分も‥。
その日から、早速、なんの為に行って、どんな勉強をして、帰ってきたらどんなことに役立てたいか?
まず、日本語で書いて、英文に直して、それを英語のできるやつに添削してもらって、
英文がビッチリ書き込まれた、A4レポート用紙3枚を常に持ち歩き、暇さえあれば、受験生‥いや、自分の受験の時はやっていなかったから、まあ、初めて一生懸命英文を暗記しました。
面接試験は文化庁の中で行われました、待合室には何人か知った顔がありました。
プロデューサー部門は書類を通過したのが3人だったそうで、多分全員合格かな?
そおう思いながら、ブツブツ、口の中で英文を呟いていました。
面接室に入ると、机がコの字型に並べてあり、中央に応募者が座り、正面にラフな格好した審査員が5人、両サイドに文化庁関係者と思われる、スーツの人が両側合わせて10人座っていました。
促されて、中央に置いてある椅子に座って、さあ、英語、英語と思っていると、正面の審査員が笑っています。
緊張してよく分からなかったのですが、審査員5人のうち、3人が知った顔でした。
というより、いつも仕事をしている照明家や井上ひさし版の編集者、それに知り合いの音響家でした。
正面に座った、照明家が「君、行ってて、こまつ座、大丈夫?」
「はい」
そう答えると、皆、何となくうなずいて、しばらく沈黙がありました。
「英語は?」井上版の編集者が聞いてきました。
よし、今こそ暗記した英語を!
「まあ、これからやればいいよ」別の審査員が割って入りました。
それで終わりです。
しばらく手持ち無沙汰にしていた審査員が、
「帰ってきたらさ、色々教えてよ」と突然言い出しました。
それに他の審査員もうなずいて、文化庁の人が
「はい、ご苦労様です、結果は郵送します」
そう言って終わった。
あれ?
英語は?
何だったら、今、覚えたの言えますけど‥
「お疲れ様でした」審査員の一言で、全て終わりました。
数日後、審査員のひとりに劇場であったので、英語の試験がなかったことを聞くと、笑いながら
「それ、栗(栗山)に騙されたんだよ、英語で喋られたって、審査員だって英語分からないもん」
結果は1月上旬に通知がきました。
「平成7年度、文化庁新進芸術家海外研修員として採用」
成田からロンドン・ヒースローへ
平成7年1月に採用通知を受け取った直後に「阪神淡路大震災」が、そして3月には「地下鉄サリン事件」が立て続けに起き、これは、復興にお金がかかるから、今年の海外派遣は中止かな?
本気でそう思いました。
しかし、在外研修は予定通りということで、その年の9月にヒースローに向かって成田を出発しました。
冒頭にも書きましたが、座席はビジネスクラスで、かなり広く、椅子がかなり斜めに倒せました。
現在のビジネスクラスはフルフラットの座席で、180°椅子が倒せますが、当時はかなり斜めという感じでした。

しかし、生まれて初めてのビジネスクラスで感動していましたら、隣に座ったのが旅行者のツアー添乗員の女性で、離陸してシートベルトサインが消えた直後から、アイマスクをして眠り始めました。
ロンドンに着くまでの12時間のうち、確実に10時間は寝ていました。
ふーん、これが旅のプロなんだ。
ちょっと驚きと尊敬が混じった目で見ていました。
ヒースロー空港
ヒースローに到着して、預けた荷物を取ってから、入国審査に並びました。
既に在外研修に行った先輩や友人たちから、ヒースローで引っかかって、別室に連れて行かれて、たっぷり2時間色々聞かれたとか、荷物全部開けさせられたとか、所持金と通帳を見せろと言われたとか、
恐ろしいことをたくさん聞いていました。
文化庁から「この者は日本国民で、文化庁の派遣で貴国に入国しているので、保護をお願いします」的な英文を持たされていたのですが、先人に聞くと、全く無視だったそうです。
特に女性がひとりで、、所持金を持たずに入国しようとするのは、怪しい商売をしようとしているからだ、と決めつけられてしまうようです。
男性も日本の演劇人は、どちらかというと、汚いジーンズにTシャツ姿の胡散臭い姿ですから、ヒースローで100%引っかかるとか、聞いていました。
先人に貯金通帳のコピーを持って行った方がいいと言われていたので、しっかりと通帳のコピーを用意して、念の為、文化庁からの手紙も持って、機内でわざわざスーツに着替えて、キリッと列に並びました。
30分ほど並ぶと、いよいよ自分の番が来ました。
審査係の人は、厳しそうな50歳くらいの女性でした。
パシポートを見せ、さあ、色々質問が来るぞ!と身構えました。
すると、その係の女性は、首をたてみ振って右手でさっさと行け!
というアクションをしました。
あれ?
ちょっと、別室い連れて行ってなんか色々聞くんじゃないの?
実は密かになんか捕まって、別室で「何しに来たのか?」とか「日本で何してたんだ?」
とか聞かれたら、後でみんなにちょっと自慢っぽく「参ったヨォ」とか言おうと思っていたのですが‥
いとも簡単に、通過してしまいました。
その時の私の手には「パスポート」「航空券の半券」「文化庁の英文」「貯金通帳のコピー」がありました。
いよいよロンドン市内へ
空港で日本から連絡をしておいた、不動産屋に電話してロンドンに着いたことを告げました。
不動産屋さんは「ロンドン・東京プロパティ」という日本人の不動産屋さんです。
担当の松岡さんという人は、数年前に舞台監督でロンドンに在外研修で来た人で、深い事情はわかりませんが、今はロンドンで不動産屋さんをしていました。
松岡さんの言われる通り、タクシーで指定された、ロンドンの西側にある、イーリングという場所の、B&B(ベット&ブレックファスト)に向かいました。

有名なオースティンの、ロンドンタクシー、乗る前に「イーリング!」と言って、住所の書いた紙を渡しました。
ロンドンはすべての道路に名前がついていて、道路を挟んで右側の住所が確か偶数番地で左側が奇数だったか、その逆だったか?
とにかく、番地があって、道の名前があって、地域の名前があってと日本と逆なので、最初は慣れなかったのですが、慣れてっくるとこれが便利でした。
日本人は大体建物とか看板で、この道でいいとか、どこそこのビルの手前を曲がるとかで覚えますが、
そうやって覚えようとしても、ロンドンの建物がみんな同じに見てるので、どこ曲がっていいのか分からなっくなりますし、看板もほとんど目立ちません。
AtoZという、イギリスの地図があるのですが、最初は目がチカチカして見づらかったのですが、慣れるとメチャメチャ便利でした。


似たような建物が並ぶ、住宅街の道路の真ん中に、指定されたB&Bがありました。
降りると、中から40歳くらいの女性が出てきて「ニッコリ笑いかけてきました」
「🎶○△★🔸£✖️✖️〜〜〜」いきなりの英語砲が耳の中で炸裂した。
あれ?確か、これ挨拶の基本的な英語のはずなのに、???
「マイ、ネーム、ナ,カ、ジィ、マ、あっ! イズ、イズを忘れた isです」
アパート探し
翌日、不動産屋の松岡さんがB&Bに迎えにきて、候補のアパートを見に行った。
朝食のイングリッシュ・ブレックファーストは確かに、噂通りのボリュームだったが、ソーセージがフニャフニャしてて、ケチャップで煮た豆と、トーストとじゃがいもで、残念ながらどれもこれも、美味い!というには程遠かった。
アパートはこの日と翌日とで5件見て、イーリング・ブロードウェイ駅から10分ほどの3階建てのフラットを借りました。
1ヶ月の家賃が丁度1,000ポンドで、当時のレートで150,000円ほどでした。
アパートはアラブ人のオーナーで、2LDKの家具付きだったが、お風呂のお湯が、使いすぎると途中から水になった。
この地域は日本人が多く住む、比較的治安のいい場所で、ロンドンの中心地まで、セントラル・ラインという地下鉄で1本、30分の場所でした。
後から分かったのですが、この辺りに住んでいる日本人は、いわゆる一流企業の人たちで、ロンドン到着直後、いろいろ、お困りなことがあるといけないので、一度、皆さんをご紹介いたします。
と、とある日本人の奥様に言われ「あっ、そうですか」とノコノコ出かけて行ってのです。
そうしましたら、まあ、当時の私より少し年上の、日本人マダム達が7人揃って、いきなり自己紹介で「宅は、三菱銀行でございます」「宅は三井物産でございます」「宅は野村證券でございまして、そしてオタクは?」
「えっ、あの、文化庁の在外研修で、あのぅ、演劇をやってまして‥」
途端に、マダム達のお顔が驚いたような表情になったかと思うと
「そうですかぁ‥ じゃあ風間杜夫さんとかと、おやりになるんですか?」
「女優さんってやっぱり綺麗ですか、一番綺麗な人誰?」
「高倉健さんは普段もあんな感じなんですか?」
マダムも普通のおばちゃんだった。
英語学校
研修先のアーツ・カウンシルには到着の旨、電話をしておきました。
たどたどしい英語で、最後に私が通訳の人を連れて行くというと、電話の向こうで「その方が賢明だ」というような事を言われた‥んじゃないかな?
笑ってたし‥
で、仕方がないから、駅の近くの英語学校に午前中、行く事にしました。
エドワード・ランゲージ・スクールという所で、最初に試験があって、英語の力量を測るんですが、私の成績ではミドルクラス、つまり真ん中でした。
月謝は1週間で50ポンド=7500円ほどでした。
ちなみに、クラスはロー(低い)、ミドル(真ん中)、アッパー(できる)という3つに分かれていました。
このミドルクラス、20人くらいいましたが、なんと、日本人が10人でした。
ペーパー試験やると、日本人は大体このクラスだそうです。
日本人は私以外は大体、大学を休学してきたか、短大卒、あるいは高卒浪人とか、旦那が海外勤務になったんで、一緒について来たけど英語わかんないから、と言う主婦の人とか様々でした。
その他はフランス人、イタリア人、スペイン人、ポーランド人、ユーゴ、中東のどこかの国の人とか中国人もひとりいました。
英語学校で驚いたのは、他の国の連中の喋る英語は「ほぼ完璧じゃん!」という状態で、みんなペラペラ喋るんですが、文法がダメで、さらに驚いがのは発音できるのに、スペルが書けないという状態でした。
「サンド(砂)」を発音できるのに、スペルが書けない。
複数形と単数系の区別がつかないんで‥コイツ、アホや! と思うと喋りはほぼ完璧です。
ここでのカルチャーショックは結構面白かったです。

生徒が先生を平気で「ニック!」と呼び捨てにするし、クラスメートは私を「YUTAKA」とか「UTAKA」(ウタカ)と呼びました。
ゲームで英語を覚えさせたり、リベートっぽいことやらせたり、イギリスの学校の教育の面白さを体験しました。
ちょっと恥ずかしかったのが、クラスで6人位のグループに分かれて、今までで一番辛かった事を、みんなに喋ってくださいという課題で、日本人は泳げないのにボートから飛び込んで死にそうになったとか、バイトが辛かったと言うような話していたのですが、他の国の人からは「祖国がなくなった」とか
「兵役で真冬に丸2日、立哨して朦朧としながら、幻覚を見た」とかいうような話が出て、その時はクラスの日本人全員うつむいて自分たちを恥じていました。
英国での日々
ロンドンでは1週間ほどで、買い物や電車やバスの移動も迷う事なくできるようになっていました。
最初の頃は、地下鉄に乗ってアパートのあるイーリング・ブロードウェイまで帰る時、車内方法で
「×○△★🌕※※〜〜、ターミネーター」と聞こえました。

前半はよく分からなかったのですが「ターミネーター」だけは、はっきりと聞こえたのです。
咄嗟にシュワちゃんの、デカいライフルを構えたサングラス姿と
「🎵ダ・ダン・ダ・ダーン」と言うリズムが、頭の中で鳴り響きました。
「ヤバイ!」きっと危ない人殺し(殺人者)が、電車に乗って来たんで、みんな気をつけろ!
そういう車内放送に違いない。
怖い‥どうしよう。
そんな事をしても何にもならないのですが、私も思わず「ダ・ダン・ダ・ダーン」と口ずさみなながら、精一杯の怖い目をして、ターミネーターがジョン・コナーを探す時のような、ロボットみたいに首を捻って、時々「キー」とかいう機械音を口にしながら周りに注意を向けていました。
その時、乗客は私の車両には私ともうひとりしか乗っていなかったのですが、そのひとりもすぐ次の駅で降りて、車内には私ひとりになってしまいました。
私も降りようかと思ったのですが、どうも、電車は何事もなかったように動いています。
あれ?
殺人者も降りたのかな?
しかし、油断はできませんので、そのまま、目的の駅まで10分ほど、目に思いっきり力を込めて、身構えていました。
やがて終点であり、目的の「イーリング・ブロードウェイ駅」につきました。

イーリング・ブロードウェイ駅
緊張しながらホームに降り立つと、盛んに「ターミネーター、ターミネーター」と言ってます。
どうも、これは終点とか言う意味らしいのですが、いまだに良くわかりません。
ただ、殺人者ではなかったようです。
この後です、英語学校に行くことにしたのは‥。
舞台も1日おきにウェストエンドに行って、さまざまな劇場で見まくっていました。
チケットはもう一つ、週に2日通っていた近くの大学の英語講座を申し込んだら、学生証をくれて、それを提出すると、メチャクチャ安く、こども料金程度でチケットが買えました。
こちらは、学生や年金暮らしの老人、そして失業者にとても優しく、私が居た当時1ポンド=150円だった時に、失業者は「オペラ座の怪人」を8ポンド=1200円で見ることができました。

ハーフ・プライス・チケット・センター
もうひとつは、レスタースクウェアという所にある「当日の観劇が半額で見られる、ハーフ・フライス・チケットセンターで買っていました」
ここに並んでいた時に、前に並んでいた爺さん達が、私の顔をじっとみて
「ここには、お前が見るような、キャッツとかファントム・オペラとか売ってないよ」と小馬鹿な感じで言ってきたので、
「俺、ジャパニーズ・ドラマ・プロデューサー!」と言ったら、爺さん達ビビってた。
アーツ・カウンシルから
ロンドンの生活が落ち着き出したこと、ようやく研修先のアーツ・カウンシル・オブ・イングランドに行きました。
ウェストミンスター寺院の近く、洒落たオフィスで、私を迎えてくれたマイケル・サージャントという人のオフィスから「ビッグ・ベン」が見えていました。
マイケルとの話の詳細は、専門的すぎるのでここでは割愛しますが、印象に残った事を少しだけ書きます。
この組織は英国政府からお金を預かり、申請のあった芸術家や芸術団体へ助成金を分配する組織で、リーダは必ず、現役の芸術家でなければならないとのことでした。
だけど、なかなかリーダーになる人がいないとのことで、私に来てもいいですよという手紙をくれた、ニック・ジョーンズはあの後すぐやめて、その次の人もやめて、私は2ヶ月前になったんだと、マイケルは自嘲的に笑った。
「どうして?」
この担当やっていると「どうしてあっちの劇場にはあんなにお金を出して、こっちはこんなに頑張っていいことしているのに少な過ぎる!」とか
「お前達はしっかり仕事をしているのか? よく見てみろ!いい加減な仕事するんじゃない!」
とかいろいろ何とから言われて、病んじゃうだそうです。
うーむ、どこも大変なんだなぁ。
ロンドンの助成金分配は公開会議で討論されるそうで、場所も劇場でやったりホールのような所でやったりして、会議を見ることの出来なかった人の為に、議事録が本になって売られると言っていました。
それで、誰がどんなこと言ったとか、別冊の出ていて、どのこなんという議員が文化芸術に対してこのような話をした、とか書いてあるそうです。
日本の助成金が、よく分からない「藪の中」で誰と誰とが話し合って、どのような経緯で支給先と支給額が決まるかが、全く分からないのに比べれば、数段、民主的で進歩していると思いました。
反面、担当者はその矢面に晒されるということで‥。
みんなの為に創設された文化助成で、みんなが取り合って、恨んだり、恨まれたり‥。
だけど、イギリスの役人は利口だから、現場の芸術家達に責任を持たせて、お金を分配を任せて、自分たちは火の粉が来ないようにして‥。
日本の場合は、絶対、お金の分配は民間にさせなくって、それはお金を配る力を持っていることが、役人が上に立てることだと思っているようで、まあ、これは日本の役人達は、手放さないでしょうね。
それでは、皆様、この次は‥もう少し先のこの次ですが、文化庁の在外研修員の審査員をやった経験から、どんな人が合格で転々合格にして、どんな人が不合格‥不合格にしたかを、お話しいたします。
中島豊

ロンドンから帰って来て、食べたくなるのが「ラーメン」です。
それから「カツ丼」を食べると、次には生意気にも、どこそこのラーメンが食いてえとなります。
私は、「桂花ラーメン」「一蘭」でした。
ロンドンでの必須アイテム

ロンドンは日本に比べて、地下鉄とかカフェとか、あるいはパブなんかに泥棒がウロウロしていると聞いて、リュックに「警報」「センサー装備」とかのシールをベタベタ貼って、気持ち悪がらせていたおかげで、財布も鍵もティッシュも点鼻薬スプレーも何にも盗られませんでした。
泥棒よけは、ちょっと気持ち悪い感じにしておく事だと思いました。
ほんの少しだけ、危ない人って感じが世界共通だと思いましたが、これ、あんまり度が過ぎると、今度は本当に危ない人が寄って来ますので、ほどほどが大切です。
何は無くても辞書は絶対に必要です。何よりも軽い物です。
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中島豊

