すま「おう、中島、京都の太秦って、東京の役者が行くと、いじめられるって聞いたぞ」
中島「そうらしいですね」
すま「そうらしいですねじゃねえよ、バカやろう、とにかくよ、京都行ったら、二人とも、ずっと頭を下げて、自分のつま先だけを見てような、わかったな」
中島「はい、わかりました」
当時、私はプロデューサーだけでなく、所属俳優のすまけいのマネージャーもしていました。
すま「それによ、俺、いい事を思いついた」
おい、東映京都撮影所って怖いんだろ?
怪優「すまけい」奇跡の復活から7年、1992年、舞台、映画、テレビで大活躍する「すまけい」に、勅使河原宏監督の超大作「豪姫」の出演依頼が来た。
早速、当時、すまけいさんのマネージャーをしていた私は自宅に電話を入れました。
中島「すまさん、勅使河原プロというところから、映画の出演依頼が来ました、豪姫という作品で、安土桃山時代の加賀、今の金沢ですね、そこの話だそうで‥監督は勅使河原宏さん、プロデューサーが松竹の奥山由和さんで、出演が宮澤りえ」
すま「おおっ!宮澤りえ、いいなぁ」
中島「それから、仲代達也、三國連太郎、松本幸四郎とかでして」
すま「凄い!いいなあ、やろうかな、台本読めるのか?」
中島「ええ、これから松竹に取りにいってきます」
すま「そうかっ! そしたらすぐ持ってきてくれ‥今日のうちに読んで、返事するから‥うむ?‥あれ? おい」
中島「はい」
すま「加賀の話って言ったろ、ロケあるのか? セットは大船だろ?」
中島「それが、京都撮影所だそうです」
すま「京都撮影所って? 太秦か?」

中島「はい」
すま「はいじゃねえよ、お前、京都の映画人は怖いって聞くぞ?」
中島「そう言えば‥」
すま「そう言えばじゃねえよ!あのなぁ『俺たち京都の活動屋を舐めんじゃねえ!』とか『あの東京から来た、すまけいとか言う、役者、生意気だ!いっちょ締めてやるか』とか言って、いじめられるに決まってんだから、えー、もうどうしよう、うーむ、ああ、少し考える、、、、考えて、電話する」
伝説のアングラの帝王「すまけい」15年の時を経て、復活!
1960年代「アングラの帝王」と称され、天才! 怪優!の名を欲しいままに活躍していた、伝説の俳優「すまけい」が、突如、演劇界から姿を消し、15年後の1985年1月、こまつ座第2回公演、井上ひさし作・栗山民也演出「日本人のへそ」で突如、不死鳥の如く復活を遂げました。
本人曰く「みんな俺が行方不明だったとか言ってるけど、俺は逃げも隠れもしないで、ちゃんとした普通の仕事してたんだぞ、結構優秀な社員だったんだから」
と少々不満そうにしばらくの間、愚痴っていました。
私が聞いた範囲では、品川駅のホームの「立ち食い蕎麦屋」や「NHKの台本印刷の会社で印刷工をしていた」とのことでした。
ですから、やたら難しい漢字を「忸怩(じくじ)」とか「檸檬(レモン)」とかを書けました。
そんな衝撃的な復活を果たしたすまけい(本名 須磨啓 すまあきら)ですが、井上ひさしが無理やり印刷工を辞めさせてしまったので、劇団こまつ座の唯一の所属俳優になりました。
その後は、「きらめく星座」「國語元年」とこまつ座公演に立て続けに出演、豪快かつ繊細な演技でたちまち、劇界の話題をさらって行きました。
山田洋次監督の「キネマの天地」でブルーリボン賞
復活の2年後の1987年には、すまけいの舞台を見た、巨匠「山田洋次」監督に乞われ、
松竹大船撮影所50周年記念「キネマの天地」に巨匠の映画監督小倉役で出演、すまけい自身、初の映画出演でした。
その後「男はつらいよシリーズ」などに多く出演いたしました。
すまけいは「キネマの天地」の演技で
第61回ブルーリボン賞助演男優賞
第11回報知映画賞助演男優賞
第10回日本アカデミー賞助演男優賞
を受賞、すまけいの名は、一気に全国区となりました。
すまけい、52歳でした。
すまけい出演を決心する
電話を切ってから数時間後、どうあれ必要だろうと、台本を届けにいった私をつかまえて、喫茶店に連れ出したすまさんは、台本をそこで一気に読んだ後も、しばらく悩んでいました。
「作品も台本も申し分ないし、共演者も凄いし‥でも、京都撮影所は怖いし‥けど、どうしよう、なあどう思う?」
「さすがに中学生じゃないんですから‥」
「だから、怖いんじゃねえかよぉ‥ああ、どうしよう」
その後も散々悩んでいたが、最終的には「勇気を出して引き受けることにする、ここでやめたら男じゃねえ!」
唇を真一文字にしながら、涙声でそう言いました。
懐に、1万円札入りの封筒10通
それから半年後の雨の午後、3日後に迫った「豪姫」クランクインの打ち合わせに、すまさんは浅草橋にある、こまつ座事務所にやって来ました。
すま「事務所はいいなあ! 喫茶店で話していると、誰かに聞かれたり、見られたりで嫌だしな、ここ一番安心できるよ」
そう言いながら、事務所にあるお気に入りのソファーに腰を下ろしました。
最近のすまさんは、テレビや映画でお馴染みになったので、街行く人に「あれ、ほら、誰だっけ?」とか「あ、あの刑事さんだ!」とか「あっ、おかしい人だ」などと騒がれたり、どうかすると寄って来て触られたりと、少々うんざりしていました。
中島「早速ですが、これが京都行きの新幹線の切符です、窓側です。宿泊のホテルは京都ホテルで、とりあえず1週間って聞いてます。撮休が1週間後だそうです、で、撮休の時は東京に帰ってもいいし、京都にいてもらっても良いとのことですが‥」
すま「わかった、お前、クランクインには来るんだろ?」
中島「伺います」
すま「最初が肝心だからよ、いじめられたり、いびられたりしないように、気をつけなくちゃな」
中島「はあ」
すま「はあ、じゃねえよ、いいか、俺、いい事を思いついた」
中島「なんです?」
すま「まずは、こういう時は最初が肝心だからよ、監督、プロデューサーはもちろんだけど、大事なのは衣装さんとか、床山さん、小道具さん、大道具さん、照明さんに音響さんにだな、とにかく生意気に思われないようにすることだろ?」
中島「そうですねぇ」
すま「最初に会ったら、お前は特にだ、マネージャーなんだから、頭を低く低く下げて、靴のつま先をずーっと見てろ」
中島「はあ?」
すま「その姿勢で、何か言われても、はい、はい、って答えてだな、それで、お前、背広の内ポケットにだ、1万円札の入った封筒を10枚くらい入れておけ」

中島「1万円?」
すま「そう、それで俺が、こう、目配せしたら、すかさず『よろしくお願いします、これでお茶でも飲んでいただければ』とかって言って渡せ、一応、こういうのが『しきたり』らしいからよ、外さないようにしないとな」
中島「靴のつま先見てると、分かりませんけど‥目配せ」
すま「バカやろう、その時は、俺の目を見るんだよ」
中島「その時って‥」
すま「まあいい、頑張れば誠意は通じる」
結局その日の打ち合わせは、京都で、いかに虐められないかという対策に終わりました。
ビビった
3日後、我々は早めの昼食を済ませると、東京駅12:10発の新幹線で京都に向かいました。

車中、すまさんは、自分の声で吹き込んだ「豪姫」のセリフを、受験生が暗記用に使う「キオークマン」という機器でくり返し聞いていました。
14:40過ぎに、京都駅に着くと、タクシーでまっすぐ京都撮影所に向かいました。
「いよいよだぞ!」
撮影所が近づくにつれ、すまさんの緊張はピークに達していました。
新幹線の到着時刻を知らせておいたので、撮影所に着くとすぐ、制作部の俳優さんの面倒を見る、演技事務の渡辺さんが迎えに出てくれていました。
渡辺さんに案内され、社屋の応接室に通されたすまさんと私でしたが、私は平身低頭、終始、自分のつま先を見続けていました。
そっと、上目遣をすると、驚くことに、渡辺さんは我々以上に深く頭を下げていました。
渡辺さんは、きっと靴の踵あたりを見ていたのでしょう。
そんな状況でしたが、私はすまさんの合図の目配せを、全身を高性能アンテナのようにしながら、待っていましたが、全く感知できませんでした。
ひと通り挨拶が済むと、私たちは別の建物に案内されました。
建物に入ると、ドアに「すまけい様」と書かれた貼り紙がある、6畳ほどの洋間に通されました。
「今日は、衣装合わせとヅラ合わせだけですから、ここで、少しお待ちになってください」
渡辺さんはそう言うと一礼して出て行きました。

室内はメイクするための化粧台と鏡、洗面所、全身を映せる姿見と、その手前には和装に着替えるための畳が一枚敷いてありました。
部屋の中央にはテーブルとソファーが対面で、3人掛け1台と1人掛けが2台置いてあります。
すまさんは、3人掛けのソファーに腰を下ろすと緊張と安堵と不安が混ざった、大きなため息をつきました。
中島「すみません、すまさん、目配せ分かりませんでした」
すま「しそびれた」
中島「えっ?」
すま「そもそもよ、制作部の人に、衣装さんとか床山さんに、どのくらいの金額渡せばいいか、聞いてだな、ひょっとして少ないとか、あるいは多いとかあるだろ? 急に心配になってな、目配せやめた、それに、二人ともつま先見てたしなぁ」
中島「まあ、多分、無いとは思いますが、もし、三國連太郎さんとか仲代達也さんが5千円だったら、すまさん1万円だと、ヤバいかもしれませんね」
すま「虐められるだろ!」
中島「でも、三國や仲代さんが1万円ってことは、無いでしょうねぇ」
すま「だからよ、お前、渡辺さんにこう言う時の金額聞いて来い、すまけいクラスだと、幾らぐらいなのか、はっきり教えてくださいって、な、行って来い」
仕方なく、私は制作部の渡辺さんの所に行って、素直に聞いてみたのですが、渡辺さんの返事は、
「どうぞ、お気になさらずに」とか「いやいや、結構ですよ」でした。
それでも「すまが恥をかくといけないので、どうか正直に教えてください」と言うと、ようやく「お気持ちで」とだけ言いました。
痺れを切らして「1万円はどうなんでしょう、少ないですか?」と少し強く聞いても「お気持ちで」と言うだけでした。
血相を変えて、部屋に来た床山、衣装、小道具のスタッフ!
仕方がないので、すまさんの控え室に戻ってその話をすると、少し泣きそうになりながら、
「じゃあ、どうすればいいんだよ、おい、このままじゃ、虐められるだろ」と、力無く座り込んでしまいました。
しばらく、ぼんやりとした時間が過ぎて行きましたが、突然すまさんが立ち上がり、
「もういい、1万円って腹を決めた! だからよ、お前、これから衣装さんと床山さんと、あと、なんだろう、持ち道具さんかな?そこへ行って『今日からお世話になります、東京から来た。す、ま、け、い、すまけいです!よろしくお願いします』って言ってだな、そんでもってその封筒渡して来い、やっぱ俺が一緒じゃ、俺がカッコ悪いだろ、それに1万円じゃ多かったとか、少なかったとかの時には、マネージャーが勝手にやってすみませんってな、うむ、なんか、俺、政治家の気持ち分かってきたな、アハハ、中島行ってこい!」
そう言うと、安堵したようにソファーに座るとタバコに火を付けました。
「分かりました、不詳、私、中島豊めが、お役目、つとめてめて参ります」
そう言って意を決し、私は衣装部屋と床山部屋、そこに隣接していた小道具部屋のある建物に入って行きました。
建物に入ると、最初に床山さんの部屋がありました。
床山さんは全部で5人いて、皆、カツラにコテを当ててたり、櫛で撫で付けていたりしていました。
忙しそうでしたが、控え室で心配している、すまさんが頭に浮かび、意を決して入り口に立ちました。
「お仕事中、失礼致します!」

皆、何事かと仕事の手が止まりました。
まずい、と思ったが、ここで帰る訳にいかないので、さらに大声で「本日、東京より参りました、すまけいの事務所、こまつ座の中島と申します!」
その途端、全員が一斉にこちらを向来ました。
すると、隣の衣装部屋からもスタッフが3人、床山部屋に飛び込んで来ました。
みんな厳しい目をしています。
と、小道具担当のスタッフだろうか?
手に大太刀を持った、目つきの鋭い50過ぎの、いかにも棟梁という風格の男性が入って来ました。
‥怖い

‥高校生時代、逗子駅で、目つきの鋭い不良にカツアゲされそうになった記憶が蘇って来ました。
しばし、ガンをつけていると思われないように、つま先を見続けていましたが、ふと我に帰り、内ポケットから封筒を出そうと、懐に手を入れた瞬間、全員が一斉に半歩退きました。
えっ?
だが、こうやって囲まれた時は、あまり刺激しないよう、決してガン飛ばしてるなんか思われずに‥ここは、京都だからメンチ切ってるとか思われないよう、むしろ、目力を落として、少しぼーっとして‥と、対処法を考えていると。
「すまけいさんは、もう、控え室にいらっしゃるので?」
衣装スタッフのひとりが、恐る恐る聞いてきました。
「はい!‥それで、すみません、失礼ではありますが、これで、これで、皆様、お茶でも召し上がって」と、内ポケットから封筒を出し、衣装、床山、小道具ととりあえず3通を手渡そうとしたのですが、封筒を見た途端、全員が、今度は三歩、後退りしました。
うむ?
様子がつかめないまま、さらに封筒を三通、トランプを扇形に広げたような形にして、大太刀の小道具棟梁に近づいて行きました。
ところが、棟梁は、顔の前で手を左右に振り首でイヤイヤをしながら後退して行きます。
えっ?これって逆カツアゲみたいだなぁ。
なんだか不思議な感覚でしたが、
なんなんだ、もう! えええええいっ!
そう叫びながら死んだ気になって、私は封筒三通を、棟梁のポケットにねじ込みました。
途端に、その部屋に居た全員が、ヘナヘナとしゃがみ込んでしまったのです。
うむ?
何が起きたのか分からず、眉間に皺を寄せた私の顔を見た途端、今までへたり込んでいたスタッフたちは、一斉に立ち上がり、それこそ今までやっていた仕事をそっちのけで、
手にかつらやコテ、衣装部屋からは、戦国武将が着る豪華な衣装、小道具部屋からこれまた立派な模様の入った大太刀と脇差を引っ掴むと、一目散で、すまさんの待つ控え室の建物に向かってに飛び出して行きました。

私は、何が起こったのか分からないまま、私は血相を変えて走るスタッフの後ろを、必死に追いかけて、すまさんの控え室の前に戻りました。
すると、先に着いたスタッフたちは、部屋の前の廊下で土下座をしていました。
えっ?
凄まじい音がしたので、何事かとドアを開けたすまさんも驚いて、慌てて部屋の中で土下座をしながら、何が起きたのか涙目になって、私を睨んでいる。
何が何だかわからないまま、私もそこで土下座をした。
「申し訳、ありません!」
なんだか、自分の人生が、誰かに流されていくような気がした。
こうして、すまけいのクランクインは、役者、スタッフ全員の土下座から始まって行きました。
本当にビビっていたのは
後から分かったことだが、京都撮影所のスタッフさんたちは、
今度、文豪・井上ひさし大先生や、巨匠・山田洋次大監督の秘蔵っ子で、すまけいという「男はつらいよ」とか井上ひさし先生の舞台には欠かせない名優中の名優だが、実はとんでもなく恐ろしく、怖い俳優が、東京から来るそうだ。
なんでも、一度暴れ出したら手がつけられなくて、何人も病院送りになったらしい。
さらに、大道具セットをぶっ壊したり、何か気に障ることでもしたら、俺たちスタッフの首がひとつやふたつ、簡単に飛ぶそうだぞ。
命が惜しければ、くれぐれも、機嫌を損なわないように‥
そういう噂で持ちきりだったそうです。

すまけいさんが控え室に到着したら、自分たちから先に挨拶に伺って、衣装やかつら、持ち道具を控え室にお持ちしなければ失礼だと考えていたそうです。
ところが、連絡が上手くいかず、すまけいさんの到着が自分たちに知らされないまま、マネージャーが先に挨拶に来てしまった。
これは、すまけいさんが、待ちくたびれて、痺れを切らしたに違いない!
やばい、誰かひとり、ふたり、人死が出る!
そう思って、みんなひきつけを起こしながら、すまけいさんの控え室の前の廊下で、許しを乞おうと土下座をしたという事だったらしいのです。
結局、お互いにビビっていたのが事の本質でした。
勿論、その後は、お互い大笑いして、楽しい仕事ができました。
なお、しきたりなどと言うものは無く、本当に気持ちでお礼をしたり、ある時は俳優さんの何人かが、お金を出し合って、スタッフさんの慰労の食事会を開いたり、そんな仕事を通しての人間的なお付き合いの中で、自然発生的に行われることでした。
安心しました。
反省会
相手の本当の姿を、自分の目や直接会って確かめもせずに、数多ある噂や、幻想で物事を判断していると、大事な本質を見誤ることがあるかもしれません。
勿論、事前の情報や勉強は必要だと思いますが、それで全てを判断してしまうことは、もしかしたら、人生のとっても大事なことや、楽しいことを見失うかもしれません。
みんなが良いという学校、みんなが立派と思ってる会社、みんなが凄いと思っている職業、お金があるのかか無いのか、勿論どれjも大事なことですが、全てではありません。
そんなことだけが全てだと思い込んで、何かを大事な道や人を選んだり、進んだりする人生は、かなりもったいないかもしれませんね。
新国立劇場 元プロデューサー
中島豊
