審査員依頼の電話は、1996年当時、新宿・紀伊國屋ホール支配人だった金子和一郎さんからだった。
「つかが、新国立劇場の中島プロデューサーにもお願いしてくれと言うもんでしてね」
つかこうへい事務所に、知り合いがいない訳ではなかったが、金子さんはつか氏から直接、審査委員長をお願いされ、その時に新国立の中島に連絡して欲しいと、頼まれたようだった。
金子氏は、私が、劇団こまつ座にいた時代に、随分と世話になり‥というか、迷惑をかけた大恩人だった。
「オーディションはお手のものでしょうから、まあ、気楽にやっていただければ、どうでしょう?」
勿論、金子さんの依頼でもあるし、天下のつかこうへい氏からのご指名とあれば、名誉なことでもあるので「こちらこそ、よろしくお願いいたします」と言って、電話を切った。
審査員は総勢20名 入団を決める最終審査
入団審査は翌年の3月だった。
試験開始は14時と言うことだったので、13時には試験会場である、王子の北とぴあに入った。
係の人に案内されて、劇場内に入ると、すでに大勢の受験者が集まっていた。
皆、トレーニングウェアを着て、通路を利用してストレッチをした、発声練習をしたりとりと、思い思いに過ごしていた。
男女合わせて5、60人はいたので、広い客席も窮屈な状態であった。
客席中央には、長テーブルが並べられていて、その上に採点用紙と鉛筆が置いてあった。
審査員もすでに10人ほど来ていて、知り合い同士挨拶したり、談笑したりしていた。
顔馴染みの演劇評論家や新聞記者がいる中に、つかこうへい氏の出版社の編集者とか、テレビ局のディレクターなのだろうか、演劇畑らしくない雰囲気の人も混じっていた。
私がテーブルに近づくと「ここ、ここ」と金子さんが手招きをしながら、座席を指差した。
金子「どうも、ご苦労様です」
中島「よろしくお願いします。どうすれば良いんですか? 勝手がわからなくて」
金子「まあ受験番号の書いてある紙に、マル、バツ、サンカク‥○×△って、つければ良いんですよ」
中島「そうなんですか‥」
金子「まあ、気楽におやりください」
しばらくすると、審査員も全員が揃った。
20名いる。
中島「随分、たくさんいらっしゃるんですねぇ」
金子「できるだけ大勢の目で見た方がというのでしょう、まあ、中島さんはプロなんだから、どうぞ、ご自分の目で判断してください」
客席中央部に置かれた、審査員席あたりのリラックスした雰囲気に比べ、受験者たちの表情はピリピリしていた。
突然のロック! 地獄のはじまり
やがて、つかこうへい事務所の蓮見正幸という演出スタッフが、審査員席の前方に用意された、マイクが載っている小さな机に着いた。
蓮見「じゃあ、男、全員舞台へ上がれ!」
いきなりの命令口調の言葉に、客席内に散らばっていた、男性受験者たちは、少し戸惑った顔をしながら舞台へ上がって行った。
「オマエラ!トロトロ上がってんじゃねぇぞぉ!!」
いきなり、蓮見氏からの罵声が飛んだ!
受験者たちは、焦って舞台に駆け上がった。
蓮見「上がったら、受験番号1番から10番、一番前に一列に並べ、11番から20番二列目、後は三列目だ! さっさと並べほら! いいかぁ、腕立て伏せ!」
そう言い終わった途端、北とぴあの客席にとてつも無い音量のロック調の音楽が響いた!
耳どころではない、身体が音に共鳴して揺れる‥いや、腹に音のパンチを食らったようだ。
身体が揺れ、メガネが上下する‥審査員席のテーブルも激しく揺れ出した。
強烈な音楽を、突き破るような蓮見氏の声が、劇場中に響いた。
「オラ、オラ、オラ、前列右から3番目! 苦しそうな顔してんじゃねえぞ! この野郎! オイ!二列目、手抜くんじゃねえ! 全部見えてるぞ! 手抜きやがったら承知しねえぞ!」
永遠に終わらないかと思われた、腕立て伏せは、1分ほどで終わったが、
体感は10分くらに感じられた。
蓮見「おーしっ、二列目、三列目、それぞれ前へ、一列目、一番後ろに回れ! 後ろだからって、怠けやがったら、承知しねえからなっ!」
終わりではなかった、受験者の中には、もう腕で体を支えられない者もいた。
蓮見「バカヤロ!下向いてんじゃねえ、正面向け!」
容赦ない罵声が飛び、それに合わせ音楽がさらにボリュームがアップした。
審査員席は完全に凍りついていた。
何人かの受験者は、すでに腕を伏せたままの状態から、起き上がれないでいた。
「バカヤロウ! テメエら、それで舞台に立てると思ってんのか!」
身体は完全にうつ伏せに伸びていながら、なんとか、頭だけを動かそうとしている者、腕を突っ張らせたまま、どうしようもできなくて泣いている者。
審査は次に三列目が最前列になった腕立て伏せが終わったところで、一旦音楽が止んだ。
都合、3分の腕立て伏せだった。
安堵する受験者、あるいは悔し涙をだがす受験者、様々だった。
蓮見「お前ら、勘違いするんじゃねえぞ、審査はこれからだ、次!腹筋!」
同じ隊列で、今度は正面向いて1分間の腹筋運動が始まった。
さらにボリュームを上げた音が流れる!
受験者たちは、もうフラフラで、真っ赤な鬼のような顔である。
途端に、蓮見氏からの罵声が飛ぶ
「ばかやろ!テメーら、そんな苦しい顔、客に見せるのか!」
「一番左!口閉じろ!ハアハアしてんじゃねえ!」
話に聞いた「つかこうへい」の演出スタイルだ。
役者を追い込んで、追い込んで、一種のハイテンション、錯乱状態まで追い込んで、死に物狂いで搾り出した、新しい演技を演出家も俳優も発見して作っていく。
その頃になると、審査員は皆、蓮見正幸氏に「つかこうへい」が降臨しているように思えてきた。
この「腕立て伏せ」と「腹筋」は合わせて6分間で1クールとし、都合3クール行われた。
すなわち、受験者たちは、18分間、休みなく「腕立て伏せ」と「腹筋」を全力で続けたのだ。
勿論、ほとんどの者が、途中何度も挫折し、また復活し、最後には足や腹がつった者が続出した。
が、どうもこれは出来る、出来ないの問題ではなく、肉体と共に精神力をも見る審査だった。
出来なくても、常に、精神を前に前に出し続けている者か、全てに諦めてしまう者かを見る審査。
動けなくなっても、なお、首だけでも、手だけでも、動かそうとしている者と、全く動かない者は客席から見ていて、その精神力が分かった。
そうは言っても、審査員たちは「どこがマル、バツ、サンカクだよ、これ、凄まじい試験だよ」
と、全員が審査員長の金子さんをチラチラ見ていた。
ダンスと演技の審査
ようやく、蓮見氏からの終了コールに、ほとんどの者が這うように、舞台から降りてきた。
数週間、灼熱の砂漠をさまよった旅人のような受験者たちは、フラフラしながら、水を求め、ペットボトルをそのまま飲み込むような勢いで、疲れ切った身体に水を与えていた。
そして、男性に続いて女性受験者たちも、同じ18分間の長さで腕立てと腹筋が行われた。
ほんの少しだが、男性受験者に比べ、女性の方が耐えている様に見えた。
女性の18分間の腕立て伏せ、腹筋が終わると、全員、舞台から客席に降ろされた。
一息つくまもなく、蓮見氏からの声が響いた。
蓮見「お前ら、よく見ろ! いいか、3回しかやらねえから、3回で覚えろ!」
その言葉が終わらないうちに、ステージに男女2人のダンサーが立った。
間髪を容れず、激しいサウンドの音楽が流れる。
その音楽に乗って、力強いステップを踏む、男女2人のダンサー。
30秒ほど踊ったところで、カットアウト!
蓮見「いいかあ!後2回で覚えろ!」
客席に散らばっていた受験者たちが、今見たダンスを必死に思い出しながら、ステップを踏み出した。
蓮見「2回目行くぞお!」
再び、激しいサウンドに合わせ、ダンサーが軽やかに踊ってみせる。
受験者では無いはずの、審査員たちも、なぜか体を揺らしてステップを復習してしまっている。
なんだか、ぼーっとしていたら、審査員といえども怒られそうな雰囲気だった。
あっという間に2回目のダンスが終わり、3度目の音楽が流れた。
‥終了。
蓮見「5分後に男全員、舞台に上がってさっきのように並べ!」
場内には、総勢100人近い人間がいるはずなのに、受験者たちのステップを踏む音と、息づかいだけしか聞こえて来ない。
どこを見るとはなく、審査員たちは所在なげに下を向いたり、上を見たり‥。
蓮見「男全員、舞台に上がれ!」
やる気に満ちた顔が数人、あとほとんどの者は、絶望的な表情で舞台に上がった。
蓮見「前の通り、番号順に三列になって並べ! トロトロすんな!」
そう言い終わった途端、劇場内に音が鳴り響いた。
たどたどしくはあるが、皆、一応に踊れている。
「見事なもんですね、大したもんだ」隣の金子さんが、そっとささやいて来た。
「うむ? 人数減りました?」金子さんに隣にいた、新聞記者の玉川さんが首を傾げた。
金子「ああ、確かに」
そう、最初の「腕立て伏せ」と「腹筋」の審査で、諦めて帰ってしまった受験者がいたのだ。
このダンスの試験は、皆、それなりにこなしていた。
最も、ここまでに自信のない受験者は帰ってしまったようだ。
女性のダンス審査が終わると、息をつく間も無く、蓮見氏がマイクを握った。
蓮見「次!男の1番、女の1番、舞台に上がれ!」
男女2名の受験者が舞台に上がると、つか劇団の劇団員が2人出てきて、つかこうへいの傑作
「熱海殺人事件」の1シーンを始めた。
職工の大山金太郎が、幼馴染の女給「山口アイ子」を、殺害するシーンだった。
見本の劇団員が1分ほど演じて見せたところを、受験者たちが演じてみせるのだが、あらかじめ渡されているテキストは無い。
全てこの瞬間、見ただけで、セリフも動きも身体に叩き込まなければならない。
蓮見「もう一度、見せるからそれで覚えろ!」
これは、順番が後の受験者の方が有利であろう。
そう考えたが、どうもこれは俳優のテクニックを見るのではなく、俳優というよりも、受験者の人間としての、地金の強さを見る試験の様だった。
受験者が見本と同じように、演技を始めた途端、蓮見氏からの罵声が飛んだ。
蓮見「バカやろう!テメエ、そんなんで女、口説けると思ってんか!今から、この女をやっちまおうってんだよ、オメエは!」
いきなりの罵声に、二人の受験者は固まってしまった。
「もっと、ぶつかれ! 女! ぼーっとしてんじゃねえ!」
こうして演技の試験が続いたが、ここでも「男の5番、女の5番上がれ!」と云う呼び出しに、
「すみません、男の5番も女の5番もいません、次は男の7番と女の6番です」と係の声が、客席内に響いた。
つかこうへい氏、登場!
14時から始まった審査も、終了したのは18時を回っていた。
静かに帰っていく受験者を見送りながら、審査員たちも疲労困憊という表情だった。
まるで、強烈な「つかこうへい作品」を、たっぷり4時間見続けたようだった。
やがて、審査員たちもゆっくりと立ち上がり、そろそろ散会かと思った時に、つか劇団の係の人が、
「それでは、皆さん参りましょう」と声をかけてきた。
私が怪訝な顔をしていると、金子さんが「きっと、つかが待っているんでしょう」と言った。
そうだよな、審査につかこうへい氏は立ち会わないのかな?
そう思ってはいたが、どうやら、審査は複数の目を信じて、自分はその選ばれた人材を育てる、ということらしかった。
いずれにせよ、御大、つかこうへい氏のお出ましであるが、一体、どこにいるのだろう?
連れて行かれるままに、係の人の後をついて行くと、焼肉屋に着いた。
促されるままに、店内に入ると畳の座敷の中央に、既につかこうへい氏が座っていた。
つか「おっ、こっちこっち、ここ座って」
金子さんと一緒にいた為、私はつか氏の目の前に座ることになった。
つか氏が「どうですか、いいのいました?」とニコニコしながら聞いてきた。
審査員長お金子さんが「なかなか、面白い人材がいましたね」そう言いながら、タバコ火を付けた。
確かに面白いと思う役者は数人いたが、圧倒的に女優の方に多かった。
焼肉屋に来た審査員は、仕事があると10人近くが抜けたので、8人だった。
その8人がつか氏のテーブルに付き、運ばれてきたビールで乾杯をした。
つか氏だけはビールではなく、焼酎のロックだった。
ふと見ると、劇団員たちは、少し離れたテーブルに小さくなって座っている。
先程まで、まるで「つかこうへい」が憑依したのではないか、と思われるほど、迫力のあった蓮見氏まで小さくなっていた。
我々が座ったテーブルに、何皿も肉が運ばれて来た。
劇団員の方もあるようだが、全員が背を丸くして、テーブルに被さるように座っていたので、テーブルの上の肉の様子はよくわからなかった。
やがて、つか氏は、離れて座る劇団員たちの話をし始めた。
つか「あの、向こう側に座ってる、紺色のセーター着てる奴いるでしょう、でかい奴」
金子「ええ、随分と見栄えのする方ですねぇ、役者さんですか?」
つか「役者、帝京大学の野球部出身で、膝だか、腰だか痛めて、それで役者になってね」
金子「大学の野球部ですかあ、どうりで、立派ですね」
つか「運動神経いいから、役者って運動神経いいヤツじゃ無いとねぇ、それにアイツ、セリフ覚えがやたらに早いんですよ」
中島「記憶力が良いんですねぇ」
つか「そう、今まで野球ばっかりしてきて、頭、使ってねえから、余ってんの」
つか氏はそう言いながら、ケタケタ笑った。
その後も、劇団員をひとりずつ、ユーモアを交えて紹介しつつ、いつか新国立劇場の作品にと語っていた。
つか流の愛情あふれる劇団員の売り込みだった。
これは、私がプロデュースした、新国立劇場開場記念公演「リア王」にて、舞台センス抜群の、当時まだ高校2年生だった劇団員の真屋瑠美子さんを、演出の鵜山仁氏と相談の上「コーデリア役」として起用することで実現した。
可憐で、ひたむきなコーデリアとして評判であった。
1時間ほど、皆で肉を食べ、酒を飲み、談笑すると、つか氏は「じゃあ、これで」と立ち上がり、劇団員たちに「あと、頼むな」と言って帰っていった。
その途端、隅のテーブルで小さくなっていた劇団員たちは、小さなカエルやイモリにされていた、村の若者や娘たちの魔法が解けたように、明るく、はしゃぎ出した。
総括
審査はマル、バツ、サンカクをつければいいんですよ、まあ、気楽に‥。
そう言われて、ホイホイ引き受けたが、あまりに凄まじい審査内容に腰を抜かした。
だが、つかこうへい氏の作品に出演するということは、、あのアスリート並みの肉体と、強靭な精神力がなければ務まらないということを、目の当たりにした。
本気で、舞台に立つということは、どういうことか?
受験に来た、多くの俳優たちにも、叩き込まれたので無いだろうか?
そういえば、かつて「つかこうへい作品」の舞台を支えた俳優の風間杜夫氏が、
「つかさんの舞台をやるという事は、心身を鍛え、少なくとも3ヶ月間、1日12時間、休み無しの稽古を乗り切る精神力が必要なんですよ、そのためには、最低6ヶ月の準備期間が僕には要ります」
そう答えていた。
1970年代から80年代にかけて、日本の演劇界に革命を起こし「つか以前、つか以降」とも言わしめた「つかこうへい」は、類まれな「人へのやさしさ」とそれゆえの「とてつもない厳しさ」を持っていた天才でした。