「入学した生徒は、2週間、自衛隊で訓練を受けます」
「えっ、宝塚音楽学校に入学した女の子たちが、自衛隊で何の訓練を?」
日本初の国立の俳優養成所(新国立劇場演劇研修所)発足準備ため、私が宝塚音楽学校に伺ったのは研修所開設の1年前でした。
残念ながら、未来のタカラジェンヌの華やかな「写真」は、著作権の問題などありまして、掲載ができませんので、イメージ写真を載せるにとどめました。
お許しいただき、どうぞ、イメージを目一杯働かせていただけましたら幸いです。
武庫川を越えて
大阪梅田のホテルから、阪急神戸線で西宮北口まで行き、そこで阪急今津線に乗り換えました。
この電車、後に映画「阪急電車片道15分の奇跡」で有名になった電車です。
宝塚音楽学校は、最寄りの宝塚南口駅から武庫川の橋を越えると目の前に出てきます。
橋の上から見えた、綺麗なオレンジ屋根に白亜の大劇場と宝塚音楽学校は、凛としたとした姿で建っていました。

宝塚歌劇団の本部と、養成期間である音楽学校は、無骨な演劇界育ちの私からすると、お金持ちのお嬢様たちが住むお屋敷のようです。
約束の時間ちょうどに学校に着き、受付で名前を言うとすぐ、教務課のM先生が迎えに出てくださっていました。
シスターのようなM先生に案内され、2階の応接室に行くまでの間、数人の生徒さんグループとすれ違いました。
最初のグループは5人で、日舞の稽古なんでしょう着物姿で手に扇子を持っていました。
もうひとつは4人のグループで、音楽学校独特のグレーのボレロに赤の蝶ネクタイ姿の制服を着た生徒さんたちでした。
両グループとも、私の姿を見ると、自然に立ち止まり「こんにちは」と丁寧に頭を下げて挨拶をしてくれました。
年齢にしたら、ちょうど16、17歳のピチピチの女子高生です。
なんとなく、色々期待した私の恥ずかしい心は見事に萎み、猛反省してしまいました。
まるで修道院に来たみたいです。
アーメン
宝塚音楽学校 試験に受かる子
近年は少し入りやすくなった倍率(2024年度12倍程度)ですが、インタビュー当時は約50倍でした。
試験内容は面接と歌唱、舞踊とあるので、当然「子供の頃から、習っていなければ難しいですね」と聞くと、
M先生は「バレエや歌の技術はさほど需要ではありません、学校にいる2年でどのくらい伸びるのか? その可能性を最大に重視します」
とのことでした。
都会のバレエやダンス、歌の教室がたくさんある所に住んでいる子が有利になることはないとのことです。
在学生の中には、離島出身の子もいるし、山の中で育った子もいるとのことです。
それでも、私がお伺いした時はバレエや音楽では課題曲の歌唱とともに「コールユーブンゲン」という合唱譜面の歌唱や、初見の譜面を歌う試験などがあったようですが、近年ではそう言うものも経験者が有利にならないようになっているようです。
具体的にはリズム感、柔軟性、運動能力、洋舞の適正などを審査するようになったようです。
歌唱も8題の課題曲の中から、自分で選んだ曲の歌唱、しかも「キー」を合わせてもらえるとのことで、ある種、簡略化され、素質や個性を見ることに重点が置かれているようです。
逆に2回だった面接が3回になって、容姿、口跡、動作、態度などから、舞台人として向いているか、華やかさや素質があるかどうかの見極めに重点が置かれているようです。
ただし、先生方の「才能の見極め」がとても大変と言うのは、今も以前も変わらず、入学してから期待ほど伸びない子や、逆に入学試験の成績はそれほどでも無かったが、入学後にすごく伸びていく子がいたりするとのことでした。
自衛隊訓練
驚いたのは、15歳から16歳くらいの女の子が、陸上自衛隊の駐屯地で2週間の基礎訓練を行うと言うことです。
どこかのスポーツ強豪校の女子選手では無く「清く、正しく、美しく」の未来のタカラジェンヌたちです。

まさか、機関銃を撃ったり、泥だらけになって野山を走る訳ではないでしょうが‥
これは集団行動の基本訓練で、これからの学園生活に欠かせない団体行動や隙のない動きを習得するのが、目的だそうです。
そう言えば、音楽学校内で会った生徒さんたちの、隙のない動きや挨拶にビックリしましたが、こう言うことだったと納得いたしました。
その話を聞いて、ますます、背筋が伸び「清く、正しく‥イヤらしく無い」おじさんになるよう頑張ることにしました。

確かに、宝塚出身の女優さんと、いくつか舞台をご一緒させていただきましたが、舞台での早替わりの速さはとても人間業とは思えませんでした。
集団就職で上京してきた、セーラー服の女子中学生たちが舞台袖に引っ込んでから25秒で、今度は、街を歩く若奥様の姿で登場するシーンでした。
25秒間でおさげ髪のセーター服の少女から、ちょっとおしゃれな若奥様にならなければなりません。
舞台から着替える場所までの往復を10秒とすると、着替える時間は正味10秒です。
舞台裏は早替わりの役者さん達で大騒動。
着替え終わった役者が舞台に出て行った後は、あちこちセーラー服が脱ぎ散らかされていました。
ところが、宝塚出身の女優さんだけは、プラスティック製のカゴの中に脱いだセーラー服が、きちんと畳まれて入っています。
10秒で
「なんで、あんな短い時間で、着替えるだけでなく、脱いだものまで綺麗にたためるの?」
「音楽学校で訓練されたから‥」
なんでそんな事で驚いているの?という顔で、その女優さんが答えました。
機敏さと細やかさを備えた、舞台上の優秀な戦士でした。
通信制高等学校
音楽学校は中学校卒業、または高等学校在学中に受験することができるため、多くの生徒が中学卒業の学歴だそうです。

M先生は「生徒は卒業後、宝塚歌劇団に所属し、やがて退団し、そこから別の仕事をするにも、あるいはあらためて大学へ進学するとしても、中学卒業の資格だけではなかなか大変です」
「中には、様々な事情で歌劇団に進めないとか、進んでも途中で退団することもあります。そんな子のために希望者は通信制の高校に入って勉強することもできます」
放課後、阪急電車に飛び乗る生徒たち
音楽学校の授業は午前9時から、16時20分までが基本で、希望者にはその後、高校卒業の為の単位習得授業が週に2日あるそうですが、大半の生徒は16時20分の終わります。

寮で生活する生徒だけでなく、地元から通学してくる生徒もいるそうですが、寮生、通学生に関わらず、多くの生徒が放課後、阪急電車に飛び乗るそうです。
「まさかのアルバイト?」
M先生「いえいえ、みんなダンスや歌唱のレッスンに通っているんです」
「学校が終わってから、まだレッスンに行くんですか?」
「生徒自分の弱いところを分かっていて、そこを補うために個人レッスンに通っているんですよ」
M先生が目を細め、少し誇らしに言った。
始業は午前9時、登校は午前7時
音楽学校の始業は午前9時で、1コマ90分のレッスンが1日4コマあります。
授業は歌唱、ダンス、バレエ、演劇、ピアノ、日舞、楽典と密度の濃い授業が続きます。
授業の間は10分、その間にレオタードから制服、制服から着物、そしてまたレオタード、早替わりの練習です。
だもん、宝塚出身者は早替わりが素早いわけです。
朝は9時からですが。予科生(1年生)は午前7時に登校してくるそうです。

「始まるまでの2時間、何してるんですか?」
「上級生が登校してくるまでに、予科生はレッスン室や、教室を掃除するんです、掃除する道具も徹底していて、タオル4枚、雑巾1枚、バケツ、モップ、ガラスクルー、艶出し、金属磨き粉、ガムテープ、筆‥これで毎日、毎日、徹底的にやります、これも教育の一環なんです」
今の時代、許されない表現かもしれませんが、確かにこれ「良妻賢母」「嫁にするなら宝塚出身者!」と言われるのが分かります。
成長期の悲喜交々
入学してきた生徒たちは、当然ですが、それぞれに希望を持って入ってきています。
観客を魅了する花形二枚目の男役志望の子、あるいは可憐な娘役に憧れる子、皆それぞれ歌劇団に憧れのスターがいて、いつか自分も!
そう夢を見ていたのが、宝塚音楽学校に合格し、自分の努力次第でそれに手が届くところまで来ました。
そう考えて必死に日やダンス、バレエ、歌唱と励んでいますが、残念ながら身体的な成長という現実が彼女たちに覆い被さります。
可憐な娘役志望の子が、入学2年目の本科生になった途端、身長が10㎝以上伸びたり、逆にそこそこの身長だった男役志望の子が全く伸びず、娘役になったりということがあるそうです。
基本的には自分で男役、女役の希望を出せるようですが、男役は167㎝、女役はそれ以下、そして160㎝以下は少年役などの役もくるようです。
卒業後
予科、本科の2年を卒業すると、宝塚歌劇団に入団することになります。
私が取材した時は「入団後7年は、歌劇団に所属できますが、それが過ぎると歌劇団との契約は一旦白紙となり、以後はタレント契約として契約していく事になります」
とのことでした、これは音楽学校卒業すると宝塚歌劇団の研究科1年として始まり、研究科7年までいくと、そこからタレント契約者として所属することになります。
この辺りで大体、25、26歳位になるので、このまま続けるのか、別の道に行くのか、あるいは契約が打ち切られるのか‥ひとつの分かれ道になるようです。
一生涯、上級生と下級生です
どこの世界にもある上級生と下級生の関係ですが、こと、宝塚に関してはそれが一生続くようです。
私がそれを感じたのが、宝塚出身の演出家「謝珠栄」さんが芸術選奨文部大臣新人賞を受賞した時の、受賞パーティーが青山の一軒家レストランで行われました。
「中島さん、パーティーの司会、やってくれへん?」
いろいろお世話になっていた謝先生でしたので「私でよければ喜んで」
そう引き受けさせてもらい、緊張しながら司会進行しておりましたら、謝先生が
「中島さん、宝塚の卒業生、みんな舞台に上がってもらって」
言われるままに宝塚OGに集まっていただくと、50人ほどが舞台に上がり全員で「すみれの花咲く頃」の大合唱となりました。
その時に大地真央さんや安奈淳さんなど、錚々たるスターさんがいらしたのですが、皆さん舞台の端のしかも後ろに立っていらっしゃいました。

「?」
後に安奈さんに聞いたところ「だって上級生ばかりで、私なんか後ろの後ろで十分」
「この世界を辞めても、上級生、下級生なんですか?」
「一生、死ぬまで、たとえどんなにスターになろうとも、1年でも上級生ならもう最敬礼、楽屋だって下級生の楽屋よ」
「へえ、凄いですね」
「でもね、謝さんは後輩だけど、スタッフになると上級生下級生の関係は無くなるの、先生になるから」
「そうなんですねぇ」
厳しい関係は一生涯続くらしのです。
そういえば、野球の名門横浜高校も1年でも先輩なら、プロに行こうがいくまいが、60になっても70になっても、最敬礼と言っていた。
70歳が71歳に最敬礼です。
舞台芸術に指導とは?
宝塚歌劇団内で起きた不幸な出来事‥。
人が死ぬ、まして自殺するなどということは、人生の中で最もあってはならないことの一つです。
小さな集団内で日常的あった、異常なパワハラ。
未成年者やせいぜい20代前半の、未熟な人間たちが起こした事件ですが、「その加害者、被害者が共に舞台芸術に携わる人間の集団で起きた事」に、長年その世界にいた自分にとっては、誠に衝撃的な事件でした。
舞台芸術の創造現場では、確かに罵声が飛び、お互いの感情が激しくぶつかり合う場面が何度もあります。
但し、それは観客にいい舞台を見てもらいたい、いい舞台を見せたい、その為の「ダメ出し」だったり「言い合い」でした。
お互い、最終目標は、なんとしても「今、見ることのできる最高の舞台を作りたい!」ということでした。
舞台は出演者、スタッフ全員が集中し、気持ちをあわせていかなければなりません。
そして、それが出来た瞬間、劇場の中に出演者、スタッフ、そして観客が一体となった宝石のような時間が生まれます。
誰もが感じる至福の時間です。
ところが、そんな至福の時間も、たった一人の俳優の演技で、幕開きから丁寧に丁寧に築き上げてきた舞台成果が、一瞬にして崩れてしまう状況があります。
舞台に関わる人間は、その恐ろしさを骨身に染みて知る者たちばかりです。
ですから、自分たちの舞台のわずかな綻びでも見逃さないという真剣な眼差しで、舞台を作っています。
おのずから「罵声」「怒鳴り声」「ダメ出し」が起きてしまう事もあります。
特に演出家にそれが顕著でした。
私が知る罵声を浴びせて俳優を指導していた演出家には、大御所と呼ばれる人が多くいました。

蜷川幸雄、つかこうへい、鈴木忠志、いずれも日本を代表する演出家であり劇作家で、やはり演劇史に残る数々の傑作舞台を作り上げてきました。
今では到底ダメなのでしょうが、それでも彼らの舞台から自殺者なんかひとりも出ませんでしたし、むしろ志願して演出を受けたい、舞台に出たい、と望む俳優が後を絶ちませんでした。
それは、その人の忠告やダメ出しが、自分の役にたつ、自分が成長していくための糧になると思っているからです。
それが素晴らしい舞台成果に繋がることを信じているからであり、ダメ出しは舞台やそれを支える俳優やスタッフへの愛情だということを分かっているからです。
実際、彼らの指導の元、舞台立った俳優は、観客からの絶大なる拍手を全身で受けることで、俳優としての幸せの極地に立つことができるのです。
ところが、この罵声が指導、忠告では無く、単なる腹いせや感情的な怒りである限り、その目的が罵声を浴びせる側のある種のコンプレックスの捌け口になった時、それは凶器として浴びせられた人間に突き刺さっていきます。
そこに先輩に絶対服従という、節度を逸脱した行為や関係性が発生した場合、これは犯罪です。
そこの区別をしっかりと認識しないと、個人や組織に有効な忠告やダメ出しが全てパワハラという逆パワハラを受けて、成長するチャンスを潰してしまし、やがてそれば芸術創造の損失になってしまうことを私は恐れています。
パワハラは決して容認するわけではありませんが、愛情ある真剣な忠告や指導なのか、単なるイジメなのか、今回の宝塚事件は加害者に持つ、なんらかのコンプレックスが陰湿なイジメとして後輩に向かったのだと思います。
どんな社会でも、いじめを受けている人は、それが加害者のコンプレックスによる陰湿なイジメと感じたら、決して泣き寝入りせず、声をあげてほしいと切に願います。
中島豊
おまけ=私、いじめられてました。
私は高校生の頃、体育会系のクラブ活動で上級生から今でいう「リンチ」や「いじめ」を受けていました。
16歳の高校1年生ですから、学校が全世界です。
板の間正座2時間、時々、先輩が思いっきり両足にジャンプして飛び乗ります。
電気椅子、膝を直角に「空気椅子」を作り、膝に重たいものを乗せて、お尻にキリを当てて、少しでも下がるとお尻に刺さります。
女性用の水泳帽を被らせて、プールに叩き落とし、先輩が襲いかかって全裸にされます。
プロレス技を1時間かけ続けられます。
合宿では夜な夜な先輩にビンタされます。
朝食は1人、1人、先輩の付き人をやらされ、ご飯をついで、食器を洗って‥。

どこにも逃れられないと思い、いじめる上級生を、恨んで、憎んで、殺害方法まで考えていました。
ひとりの1年生への「いじめ」が始まると、同級生達は草食動物のように身を潜め、今日は自分が犠牲にならなかったという、ある種の安堵感と恐怖心から見て見ぬふりをしていました。
「いじめ」を受けている本人は、周りから「哀れ」に思われたくなくて、平静を装って「いじめ」に耐えていました。

私たち1年生を「イジメ」ていたのは、レギュラー選手ではなく、補欠の先輩達でした。
今思うと、私たちは何も思っていなかったのに、補欠の先輩は自分のコンプレックスや下級生から馬鹿にされているのではという疑心暗鬼、そして自分の立場を必死で守るためのある種の恐怖から、それこを狂気のように「イジメ」を繰り返していました。
レギュラーの先輩からは「技術的なアドバイス」や「試合での気持ちの持ち方」「今この練習が、試合のどの場面で必要になるか」などそれこそ、言葉は厳しかったのですが「納得できるアロバイス」や「身に染みる忠告」を貰いました。
私たちをいじめていた先輩に、ある時、たまりかねた1年生数人が「口ごたえ」をしました。
叛逆を試みたのです。
真っ赤になって、逆上した先輩でしたが、一歩も引かない1年生に気押されながら「必死で威嚇していました」
1年生はもうクラブを辞めるつもりでしたから、怖いもの知らずです。
結局はレギュラーの先輩が中に入り、その場は治りました。
そしてそれ以降「イジメ」していた先輩は、我々への「イジメ」は無くなり、下級生に対し、どこか怯えたような態度になり、数週間後クラブをやめました。
決して良い解決方法ではなかったかもしれませんが、その時、1年生は全員、自分たちをいじめていた先輩は、どこか怯えながら我々をいじめていたという事に気がつきました。
「加害者」はどこか自分を守ろとしていたのです。
大人になってからも、同期や部下が部長になった、おやじ係長が「変に意地悪」だったり「手柄話ばっかり」していたり。
人間が社会的動物である以上、こういう事はなくならないのでしょうかね。
コンプレックスを持ったり、自分を認めてほしいと思ったり、そんなことを克服できれば良いのでしょうけど、宝塚音楽学校でもどこでもそんなこと教えてくれませんものね。
中島豊

